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国際保健/開発:国際保健や開発に関して私なりの論を展開しています。
フィールドノートから:フィールドでの試行錯誤。
FYI:興味深いイベントを紹介!
ツレヅレ:書評、映画評、ツレヅレと。
投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-12-12 16:57:00 (699 ヒット)

12/11@GorokaからPort Moresbyへ。

▼Port Moresbyではお土産を購入し、伊勢エビを食べた。人類生態の留学生の親戚でタクシー運転手をしている人がしないのいろいろなところを案内してくれた。PNG Artというお店は手ごろな値段で仮面などを購入することができる。


12/12@Port MoresbyからCairnsへ。

▼ケアンズではレンタカーを借りて市内散策。アボリジニ居住区であるYarrabahを訪れる。途中で道に迷ったり、なんだか明らかに「切り取られて作られた」雰囲気があって恐る恐るたずねた。


12/13

▼Cairnsから日本へ。ひたすら長いフライト。ついた日本はさすがに寒かった。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-12-10 8:59:00 (832 ヒット)

12/8
▼朝起きて、町にくりだした。ホッチキスを買ったところでUPNGの学生たちとばったり会い、グエンの家でパーティをするから来ないかと誘われる。そこで、IMRのちかくにあるグエンの家まで出かけた。
▼IMR のほかのスタッフもたくさんいて、竹筒に野菜と肉をつめる、というマンブーやラバウルの伝統料理で、焼いた石をココナツスープの中に入れ料理するアイギルをいただいた。すごくおいしい料理。ラバウルにいた日本軍もアイギルを食べたんだろうか。食べたら彼らに対して銃を向けようとはしないだろう。
▼それを待っている間になぜだかすごく体調が悪くなり、あまりたくさんいただくことができなかった。すごく残念。もちろん、ある程度は食べたのだけど(笑)蓄積疲労か、もしくは脱水症状、熱中症とかかもしれない。
▼ 夕方家に帰ってからは本格的に悪寒がして死にそうになる。こういう時に限って、梅崎さんたちと別行動を選択してしまったので、一人で紅茶を飲んでから就寝。途中、ひたすらうなされた。変な夢を見た。なんだったかは忘れたけど、たしかひとりで厳しい戦いに行かないといけない感じだった。よほど疲れているとしか考えられない。

12/9
▼朝からずっと体調が悪く、死ぬかと思った。でも、死ななかった。仕事自体もうだいぶ減っていたこともあり、不幸中の幸い。
夜にかけてだいぶ身体は楽になった。

12/10
最終準備で、調査票の整理や日本へ持って帰る物品の整理などを行う。いつものことなのかもしれないけど、結局すごくバタバタしてしまう。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-12-7 9:01:00 (778 ヒット)

▼朝、かなり早く目が覚めた。昨日の夜、トイレに行かなかったし、朝、すごく寒かったからかもしれない。思い返してみると、誰かのステレオか何かから陽気な音楽が流れていたのも目が覚めた理由かも。目が覚めたついでにトイレに行き用を足した。
▼用を足して見あげた空は、半端ない夜空だった。プラネタリウムよりも多くの星があった。そしてずっと星を見ているとなんだか夜空に吸い込まれていくようで、不思議な感覚になった。その夢感覚に陥った俺を確かめるように、いくつかの流れ星が流れていった。
▼簡単な朝食をとってから、夏原さんたちはチェックインをしに空港へ移動していった。自分たちはIMRに行き、日本に先に持っていってもらうものを決め、空港へあわてて持っていく。ぎりぎりでチェックインして、ここでお別れ。
▼IMRに戻り、今日から宿泊できることになったIMRのトランジットハウスへ。お昼にアボカド、スパム、サバ缶などをつまみ、昼寝をしたりしながら、一日ゆっくりした。


▼Kotiufaに出るときに感じたこと。Kotiufaを出たときから、自分の記憶はそこで固定されてしまう。
▼ 俺が、オーストラリアから帰ってきてから、滞在中にサキソフォーンを教えてくれていたロビンは自殺してしまったし、初めて教室で話したアレックスはトラックとの交通事故で即死した。でも、それを俺が知ったのは、彼らがこの世での命を終えたずっと後のこと。自分の知らないで人が生き、そして死んでいくこと。なんだか不安になったりする。
▼カメルーンでだって、そうなっているかもしれないけど、思い出はそのままきれいであり続ける。セピア色になった写真を手に取り感慨深くなることはあっても、その写真の「いま」には向かい合うことは、正直意識的に避けている感もある。その自分の無責任さに向かい合わないといけないのは、重々承知なのだけども。
▼宇宙は巨大なアルバムだ。――ビートたけしの小説『少年』に所蔵されている「星の巣」の中にある一節だ。八・六光年はなれたシリウス。八年前に放たれた光が八年のときを経たいま、地球に届いていると兄弟で話すのだ。
▼無数にある星の中の一つ一つが、その光が放たれたその瞬間に自分が感じていたことを思い出させようとしているような気がした。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-12-6 9:02:00 (733 ヒット)

▼朝、寒くなって目が覚める。芋を食ってから、川を渡り、タバコ会社の跡地にあるヘルスセンターへ。そこにある屋根つきのバルコニーで準備開始。今日が大規模な調査の最終日だったのだが、一番いいコンディションで調査をやることに。
▼途中、ジェントレットの針がなくなりそうになって、マラリア検査用のLANSETを手配してもらうことに。結局は使用しないですんだんだけど、ちょっとドキリとした瞬間。

▼終わり次第、川を見に行く。途中の道がぬかるんでいて、にもかかわらずビーチサンダルで行ってしまって死んだ。行った先の川はそこそこきれいでそこそこ大きな川だった。泳ぐほどの時間もなく、単に、足だけ水に浸かって帰ってきた。

▼IMRにもどってから、唾液の遠心を行った。これで遠心するのも最後・・・。だんだんうまくなっていくもので、すごく早く終わった。

▼ 最終的なサンプル数は649だった。700くらい取れたら、なんていう目標もあったみたいだけど、実現可能性を考えたら、649で御の字だった。IMRのスタッフ、それから村の人たちの協力なしではなしえない数字だ。8月に前乗りで調査をしていたのも幸いしたのは間違いないだろう。

▼ 遠心が終わりひと段落してから、今回のスタッフへの慰労会。IMRの庭でBBQをした。途中、「ハマモト2号」さんのお誕生日だったので、そのバースデイケーキが振舞われた。そのデコレーションの文字の名前が間違っていて、スーパーに行って直したりと、バタバタしたけど、すごっく喜んでいて良かった。すっごく大きなケーキでバタークリームでびびったけど、それでもひさしぶりな感じが、すごくおいしかった。
▼ みんなでGroup Pictureをとったりした。最終的にIMRのスタッフとすごく仲良くなれて、良かった。グエンとボレッタは"You have to come back to PNG."といい、そのあとすぐ間髪入れずに"with souveniers"とニコニコしながら言っていた。

▼再びKotiufaに戻って最後はアパとチキンの竹筒焼き(マンブー)をいただいた。相変わらずうまかった。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-12-4 17:01:00 (663 ヒット)

▼朝から豪華な食事を作ってくれた。なんでも朝の3時からやってくれたいたらしい。ありがたい。

▼ご飯を食べてからは、再び川を渡り、道に出て、IMRの車にピックアップしてもらい、サイトへ向かった。今日は人が少なめだった。

▼そのあとは、いつもと同様、IMRで作業をしたのだが、村を歩いたときについた泥をセンター内に運んで怒られた(らしい)。そりゃ、怒られるわな。そーりー。たらんぶー。

▼ 村に着くとムームーを用意してくれていて、それをいただいた。豚は社会の交換財としての価値があるので、めったなことでは殺さない。だから、本当に貴重な食べ物で、日本で食べる豚とはまったく意味合いが違う。夏原さん的に言えば、塩をつけてたべたら「爆発的にうま」かった。

▼ 散歩をして、焚き火を囲んでみなで少し話す。みんな名前が変わった。俺の名前はヤドカウェになった。どこかの山の名前らしい。きちんと名前が変わったことを日本で言えとみなニコニコしながら行っていた。ピジンでいろいろ聞かれたが、このごろは、だいぶよくわかるようになってきた。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-12-3 17:02:00 (659 ヒット)

▼今日は30度を越えてとても暑かった。日本から購入していったターフがなければ、本当に干上がっていた気がする。とはいえ、屋内に入ってしまえば、風は涼しく、十分昼寝をすることが出来るのは、この国のありがたいところだ。

▼7,8メートルにも育っているポインセチアの木から、赤ちゃんが布にくるまれてぶら下がれていて、すやすや眠っていた。ビルムに入れることもあるらしい。

▼ 日本では通りに酸素マスクがあるのかと、IMRのスタッフに聞かれた。PNGの雑誌にそういう風に書いてあった、とのこと。ステレオタイプとはまさにこのこと。日本からPNGへのステレオタイプがあるのと同様、PNGから日本へのステレオタイプもあるのは、ある意味当然なのかもしれない。

▼IMR にいって作業した後、食材を勝手から、Sapsapへ戻った。車がなかなか来なくてつくのが6時ちょっと前。暗くなる前につけたのはよかったとしても、集落までの道がどろどろで、しかも、越えないといけない川は増水していて、ひざ下まで浸かりながら...といのちの危機を(ほんの少しだけ)感じながら、村に向かった。

▼新しく作ってくれた家にとまり、大量の夕食を食べさせてもらった。

▼この村では、地面の中に動物を丸ごと入れて火をたいて調理する、ムームーの際に、豚を取り分けられる人が限られていて、その人はリスペクトされているということだ。

▼女の子が火をまたぐというのはご法度だから、遊んでいる途中とかにでも、ムームーの場所をまたがないように、ムームーをする場所には植え込みがしてあった。効果が確実な工夫だ。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-12-2 17:03:00 (665 ヒット)

▼今日は、IMRで簡単な作業をするだけの予定だったので、朝9時に行動開始となった。いつもよりも3時間も遅いスタートなので、ゆっくり朝食をとったり、話をしたりした。イアンの息子で、1歳半のセドリックはすっかりなついてくれて、かわいいことこの上ない。

▼Papa Sallyとイアンはいろいろな話をしてくれた。タケノコの種類とか、経血に対するケガレ意識とか。

▼ そういった意識があるがために、ムームーをする場所を女がまたぐことは禁忌だし、男の子が誕生する際に血まみれになることも忌み嫌われることだという。というのも、血まみれになることでパワーが失われると信じられているらしく、そのパワーを失わせる血を出すべく、戦争のときは、木の枝を口から胃に突っ込み、血を吐き出すらしい。想像しただけで胃が痛い。

▼マリファナはすっても持ってても刑期は6ヶ月。マリファナを売り武器を買う人がいて、治安が悪くなっているという。韓国人、マリファナと武器を交換するためにラバウルにいる、というのが彼らの説だ。

▼IMR では遠心と記録の確認。結構時間がかかり、オフという感じではなくなる。途中、Sapsapという明日から行く村へ挨拶するのについていく。とてもよさそうで、いかにも「ウルルン」っぽい村だった。なんといっても、集落のひとつに行くのに、川をわたって越えないといけないのがウルルンだ。

▼昔はRothmanというタバコの会社があった村だったが、今は撤退してしまい、もぬけの殻となった工場の建物だけが残っている。

▼夜は、中国鍋をみなで自炊した。とてもおいしかった。(→その後、日本でも作ってみた。なんかあんまりたいしたことなかった。鶏肉のうまさが違うからか。はたまた2人分だったのがよくなかったのか。)夏原さんが強引に野菜を入れまくっていて爆笑。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-12-1 17:04:00 (606 ヒット)

▼さすがに少しネタ切れ。基本的にやっていることが同じだからか。もう少しゆっくりと時間があれば、いろいろと「発見」することもあるのだろうけど、いかんせん、朝早くにおきて、ひたすらアセチルコリンエステラーゼの計測をして、帰ってきて、唾液の遠心をして、夕方で、村に帰って、子どもたちに遊ばれ、気がついたらもう夕方で暗くなり始め、ご飯を食べているうちに夜になり、眠くなり、寝る――という生活では仕方ないのかも。それにしても、もう少し斜めに観察しないと。

▼お昼、仕事終わりに、ご飯を買いに言った。日本で言うところのフードコートのようなところ。ご飯モノから揚げ物まであって、日本と違うのは、カウンターが柵で仕切られていること。やはり物騒なのだろう。味はなかなかだった。

▼斑についてから、ひげをそりさっぱりした。サダムが下までついてきていろいろ話す。途中の会話で、ニューギニアでも女を作れといわれた。お前に一人やるという12歳はいったい何なのだろうか。爆笑した。

▼そのあと、サダムたちとビー玉遊びをして、腕相撲をして、カラテゴッコをした。子どもたちのタックルしてくる力は半端なく強かった。

▼PNGのソマレ首相の話を夕食後に聞く。汚職があるという人もいるようだ。街中に、Stop Corruptionという看板があった。

▼イアンというPapa Sallyの義理の息子と話した。とても英語がきれいで、PNGに4つしかない、National High Schoolに行っていたらしい。結局、先生たちともめて、退学したらしいのだが、賢さが話の節々に現れる男だった。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-11-30 17:05:00 (647 ヒット)

▼ゲストハウスでビスケットと紅茶で腹ごしらえをし、今日の調査地であるMassyへ向かう。このあたりでは一番初めに学校yが出来た地域で、しかも全体的に裕福な地域であるという。事実、建物はしっかりとしていて、いわゆる「窓」、つまり、窓枠があり、ガラスの窓が入っている窓がついているという家が多かった。

▼始まってからしばらくは、我々が設営したテントの周りに人が集まって様子を伺う感じで、変な「間」があった。気がついた次の瞬間には、とてつもないペースで人が来た。昨日に比べて、人はきちんと並ぶし、しずかにしているし、お菓子暮れとか、絆創膏をくれとか、言ってこない。「お行儀がよい」という言葉、そのもののようで、Kotiufaとのあまりにも対照的な様子は、なんだか不思議な感じだった。もし仮に、これが教育の効果であるとすれば、それはすごいことだと思った。村民性はどのように形成されるのだろうか・・・。

▼お昼はBird of Paradise Hotelでハンバーガーを食べた。いわゆる「西洋人向け」のホテルで、概観が田舎の合宿所のような体であるにも関わらず、中に入ると、洒落たインテリアで少しびっくりした。ハンバーガーは普通においしいものだった。Bird of Paradise Hotelは、Goroka周辺では唯一のおしゃれなホテルである。

▼IMRで唾液のチューブを遠心にかけ、小さな容器に移動させるという作業を行った。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-11-29 17:06:00 (595 ヒット)

▼今朝は、先日購入した毛布を使用して寝たためか、起き上がるまで、寒さをほとんど感じることなく寝ることができた。起き上がって、アボカドとパン、それからシュガーフルーツを朝食として食べた。アボカドはやはりうまい。文句なしにうまい。日本のアボカドは、日本へ輸送される時間を考えて早めに詰まれるのに対し、アボカドの産地のアボカドは、もぎたてなので、ぎりぎりまで熟したおいしさがある。ニューギニアもカメルーンもアボカドは本当においしい。

▼今日も同様に、調査をさせてもらった。今日は結構午前中から忙しくて、あっという間に目標数を達成した。(この村でサンプル200が目標数だった。)みんな本当に協力的でありがたい。自分たちが住民で、海外から調査チームが来て・・・というシチュエーションを考えると尚更一層ありがたい。

▼PNGには昔からたくさんの人類学者がいたんだけど、ニューギニアの人々と生活をしていると、その理由の一端を見た気がした。協力的でなければ何も全く始まらないからだ。彼らの懐の深さのようなものを本当に感じた。

▼写真を撮ったり、ベテルナッツというナッツの一種を食べたり・・・と調査がひと段落してゆっくりしていたら、この前、自分の股間を触ってきた男が、毛糸で作ったバックである「ビルム」をくれた。俺とお前は友達だ、だそうだ。きれいな色でよかった。

▼お昼はやはり、Papa Sallyの家でいただいた。芋が三種類もあった。どれも色も味も食感も違うが、やはり芋であった。内藤君が胸を詰まらせていた。

▼IMR に戻っていく車で荷台に乗って移動した。にもかかわらず、ドライバーはびゅんびゅん飛ばすので、正直死ぬかと思った。実はそれまでの間の移動では、俺たちはいつも中に乗って、IMRのスタッフやUPNGの学生は荷台に乗っていた。車に関しての経費は今回のプロジェクトで負担しているし、彼らは荷台に乗ることになれている一方で、俺たちはなれていないということもあるから、彼らだけが荷台に乗ることを正当化することはできるのだろうけど、なんだか、むずかゆかった。いつもご飯が運ばれてきて、俺たちは食べるだけ、と言うのと同様、当たり前にならないようにしないといけないな、と感じながら受けた風だった。

▼IMRでは明日までに必要な物品をみなで確認して、終わり次第に日本に一通だけメールした。

▼ 今日の宿泊はゲストハウスで、そこでみなで自炊した。メニューはハンバーグにチキンカレースープとご飯と炒め物。スープには、ハマモトさんが村でもらってきていたイチゴが傷んでいてそのまま食べるのには適さないと勝手に判断して、こっそりすべて入れておいた。最後まで気がついていなかった。今回初対面同士のメンバーもだいぶ互いに打ち解けてきた感じ。みなが働き者なのが、非常にイイコトだと思う。

▼夏原さんいわく、ワサビとアルコールの食べ合わせはダメらしい。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-11-27 17:08:00 (617 ヒット)

▼夏原さんの調査地。

▼寝ぼけ眼の午前6時に家を出て、悪路を揺られ、IMRへ。そこでまずは簡単な準備。準備が終わり次第、村へ向かって移動したんだけれども、そこまでの道はきちんと舗装された道で、快適そのもの。



▼ 基本的にはカメルーンと同じものをすごく感じる。気候もそうだけど、食べているものとか、人々の様子。マギーがあるのも同じ(笑)それにしても、どうしてどこの国にもMaggyがあるのだろう。コカコーラよりも浸透している気がする。トヨタもさすがにMaggyにはかなわないだろう。



Stuffed Rice

▼ アセチルコリンエステラーゼの機械は当初扱いにばたばたしたものの、血液を採取する担当のレベッカとの相性もよく、ペースをつかんでからは、早かった。お昼はPapa Sallyの家に行っていただいた。ご飯の上に、さば缶とか野菜とか炒めたものを乗っけたものをいただく。すごい量でおなかいっぱいに。

▼午後は人の数も少し落ち着いて、暇なときはウトウトしてしまった。混乱もせずあっという間に終了。終了しだい片づけをして撤収。途中で変な中年男に股間を触られた。何だったのだろうか。



▼今回の調査にはUPNGの医学部の学生が研修の一環として参加した。PNGのエリートにはギトギトした人が少なくないなんていう話も聞いたのだが、彼らは非常にスマートでさわやかだった。一人はケミストリーの川畑に似ていたので、こっそりケミストリーと呼んでいた。



▼夜は、ご飯とサバ缶という同じメニューにかぼちゃの葉やピットピット、アパなどの野菜をココナッツジュースで煮たものをいただいた。辛くはない上質なタイカレーのようで非常においしかった。ご飯自体は非常においしい。

▼AIDSに関して人々がどのように感じているのか話を聞いてみた。啓発はしているようだった。若者はケアレスだというのがPapa Sallyの弁。



▼虫に食われることを恐れながらマットレスをシェアして寝る。部屋がトタン屋根であるためか、すごく寒かったが、疲れもあってかすぐに眠りに落ちた。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-11-26 17:07:00 (608 ヒット)

▼朝は死ぬほど寒かった。寝起きはそんなに寒さを感じなかったが、起き上がって外を歩いているうちにがくがく震えてきた。夜はすごく湿度が高くなるみたいで、服が湿っていた。もちろん、雨が降っていたというのもあるだろう。

▼朝食はJefferyというPapa Sallyの弟の家で紅茶とクラッカーを食べた。焚き火に当たり、だいぶ温まることができた。

▼今日は80程度サンプルを集めて、早めに終了。昨日は30℃近くまで気温が高くなったのに、今日は20℃そこそこで、ずっと肌寒かった。相変わらず大人・子ども問わず、飴をくれとやってくる。計測中は少なくとも止めてほしい(汗)

▼IMR に行き、遅めの昼食。IMRの中庭で食べた。サツマイモとラムフラップというラムのくず肉、小麦粉を丸めて揚げた「スコーン」を食した。スコーンはカメルーンで食ったポフポフと同じ。小麦粉とベーキングパウダーを油で揚げたものだ。決してまずくはないが、うまくもない。

▼IMRの中庭には、PNGで有名なアーティストが作った、彫刻があった。金属で作ったヒトの造形の上にでっかいハマダラ蚊が乗っていた。なんだかよく意味が分からないが、意外といけている。

▼村に戻ってきてからは、子どもたちと遊ぶ。普段は大人となんか遊んでいないんだろうから、思いっきりはしゃいでいた。どこも子どもはおんなじだ。きっと家に帰ったあとは興奮しすぎて親に起こられたことだろう。気の毒に。

▼ 村のそばに下に下りる階段というか、がけというか、道があってそれを下っていくと湧水がある。そこで水浴びをした。といっても、頭を水で洗ってみただけ。果たしてきれいになったのか、汚れが拡大したのか、よくわからないと言うのがミソだ。個人的には、風呂とかシャワーとかあんまり好きじゃないので、あんまりシャワーに入らない生活が苦ではないが、さすがに少し髪がごわごわしてきた。あ〜ぁ、きっと、こういうことするから髪が減るのだろう。

▼ それから近くのちょっとしたMarketに行った。ダーツのボードを掲げて、簡易ダーツバーが開かれていた。赤い帽子をかぶったおっ差にはすごくうまくて、商品のマギーヌードルを取っていた。その’「ダーツバー」の周りには、地べたに座ってカードのギャンブルをしている人々。結構年を取っている人が多いような印象を受けた。他にも、野菜を売りながら話に花を咲かせる女たちが道沿いに並んでいた。Papa Sallyの息子、Sadamはアパを買っていた。

▼竹筒に肉とアパを入れて竹筒ごと火にくべる料理をいただいた。今日の肉は、鶏の内臓だった。アパはねばりっけの多い野菜で、見た目はミントのようだが、食感はモロヘイヤに近い。とてもおいしくて、バクバク食べてしまった。鳥を絞めたのは、今日、小学校が卒業式だったからとのこと。よほどのお祝いでない限り肉は食さないのが彼らだ。

▼電気は18時過ぎにようやくついた。とはいっても、村の中にある電灯は数えるほど。われわれが泊まった家では、ランプを灯していた。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-11-25 17:09:00 (613 ヒット)

▼成田からケアンズ、ポートモレスビー、さらに今回の目的地であるGorokaまで、飛行機を三回乗って向かう。

▼ ケアンズへの到着便のスクリーンにはRockhamptonの文字が。2000年に留学生仲間で訪れた、なつかしの場所だ。独りで決めることではないけど、新婚旅行にはここに行きたい。もし蹴散らされたら、家族旅行の一回でここに行きたい。そのくらいいい場所だった(ような気がする)。

▼結局、オーストラリアは朝4時に着き、昼までラウンジでうだうだしながら滞在。

▼荷物トラブルが発覚し、ケアンズから研究室に電話。再配送するよう手配してもらう。60%くらい自分の責任なので、非常に申し訳ない。



▼オーストラリアとアフリカの差はなんだろうか。なぜオーストラリアには入植して、発展したのに、アフリカではしなかったのか。資源? たくさんの砂漠。政治形態の違い? 戦争の強さ? 疾病の違い?



▼Port Moresby空港に飛行機が降り立つとほどなく、機内までもわっとしてきた。早速滑走路に降り立って見ると、湿度はそれほどではないものの、気温は結構高い。

▼ 空港は日本のODAで作ったとのこと。ところどころに日本語のサインがあり、その事実を感じさせる。到着して外に出たが、国際線ターミナルにはあまり人がたむろしていない。もっと客引きがいるかと思っていたのに、拍子抜けしてしまった。一方の国内線ターミナルは、家族連れがぱらぱらと地べたに座っている。カラフルでざっくりとして服を着てる人が多い。男は穴の開いたぼろぼろのポロシャツを着ている人が多い。日本人はほとんど居ない。

▼人類生態学の卒業生に会った。

▼航空会社:Air Niugini、Airlink、Airline Pngの3社があるようだ。結構就航している。

▼ 葬式に向かう一行がPort Moresbyの待合フロアに。日本の菊とかとは違って、華やかな花で花輪を作っていた。梅崎さんいわく、人がなくなったら遺体を故郷まで運んで、そこで弔うとのこと。貨物から腐臭がもれてくることもあるという。日本の違って骨にしちゃうとかはないのだから、まぁそうなるか。



▼その日の宿舎。夏原さんにノミ、ダニのことで脅される。ビビリまくる。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-11-24 17:34:00 (777 ヒット)

33歳男性が犬と結婚!「のろい」解くためインドで動物婚
2007年11月14日08時15分
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20071114-OHT1T00052.htm

 13日付の地元紙「ヒンドスタン・タイムス」によると、インド人のセルバクマールさん(33)が、このほど10歳の雌犬「セルビ」とインド南部のヒンズー教寺院で結婚式を挙げた。

 このセルバクマールさんは、18歳の時に交尾中の犬2匹を撲殺し、木につるしたという。しかしその後、セルバクマールさんの体に異変が続出。脳卒中で腕や足は動かなくなり、片耳も聞こえなくなった。「最近受けた治療でやっと松葉づえを使って移動ができるようになった」。

 「犬を殺したたたりなのだろうか…」。そう考えたセルバクマールさんは、すがるような思いで占い師に相談。「犬ののろいを解くには、雌犬と結婚すべし」と仰天のお告げをもらった。急きょ親せき一同に“お相手”となる犬を見つけてくるよう大号令。ふさわしい?野良犬を発見すると、風呂に入れ、伝統衣装サリーを身につけさせた。

 結婚式はヒンズー教の儀式にのっとって無事行われ、セルバクマールさんは「死が分かつまで面倒を見ます」と永遠の愛を誓った。雌犬は式の最中にパンを食べていたという。

 インドでは2000年7月に4歳の幼女が犬と結婚している。今回同様に数々の不幸があり、占い師から「犬との結婚」を勧められたという。インドでの“動物婚”はしばしば報告されており、最近ではヘビと結婚した幼女もいたとか。動物と結婚しても、人間と結婚することも自由で、動物との離婚手続きは特に必要ないらしい。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-11-24 17:10:00 (636 ヒット)

どうも、皆さんこんにちわ。とうとうパプアニューギニアに行きます。明日26日(月)にカンタス航空でまずはケアンズに飛び立ち、そこからニューギニア航空で、パプアニューギニアの首都ポートモレスビー、さらに、今回の目的地であるゴロカまで飛行機で飛びます。


カメルーンで耐性がついているためか、はたまたオーストラリアの高校にパプアニューギニア人の国費留学生がいて親近感を持っているからか、あまり感傷的にはなっていませんが、まぁ、身体にだけは気をつけて、それから、彼らの戦争に巻き込まれて、流れ矢に当たって死なないように、がんばってきたいと思っています。


帰りは、12月13日。当初の予定よりも思いがけずだいぶ短くなりましたが、それはそれで良しとします。だって、早めに帰って来て、すぐさまがんばって卒論やらないと、おっぱっぴー(Oh、PapuaのせいでPooh太郎)になってしまうので。

ではでは、くだらない話はこの辺で。みなさんお元気で。帰ってきてからいろいろアップします。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-11-14 17:32:00 (599 ヒット)

2007年11月12日、河南省鄭州市で、全国農村人口一人っ子政策実施会議が開催された。席上、国家人口一人っ子政策委員会の張維慶(チャン・ウェイチン)主任は農村部で人口出生性別比の不均衡が極めて高い水準を保っていることを明かした。

通常、新生児の性別比は女児100人に対し、男児103から107人と言われている。しかし、中国の全国平均は119.58人を大きくその値を超えている。農村に限定した場合は122.8人とその数値はさらに高まる。この傾向は1980年代より継続しており、20歳から45歳までの男性数は女性より1800万人も多い。この数は2020年には3000万人を超えると見られている。

性別比の不均衡は農村を中心に男児を好む伝統が強く残っていることに由来する。中国政府は、男児を重んじる旧来の風習を変える啓蒙活動、出産前性別診断の禁止など対策を打ち出している。(翻訳・編集/KT)

http://www.recordchina.co.jp/group/g12812.html


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-11-7 17:30:00 (877 ヒット)

インターネットサーフィンをしていて気になるヘッドラインがあった。

妻HIV感染 夫が離婚要求「セックスない結婚は呪い」

妻のHIV感染が判明し夫が逃げていく、と言うケースを耳にするケースはよくあるが、夫が「きちんと」離婚を求め、さらに読み進めていくと、裁判所が離婚を認めたという。これは、今まで聴いたことがなかった。

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 ニューデリーの婚姻裁判所は1日、妻がエイズウイルス(HIV)に感染しているとして、離婚を求めた夫の訴えを「セックスのない結婚は呪いだ」として認める判決を出した。2日付のインド各紙が伝えた。
 裁判所は理由を「HIVは性感染するため、夫は幸福な結婚生活を送れなかった。セックスは結婚に不可欠の一部だ」とも説明した。
 インドには、国別で世界で3番目に多い推定250万人のHIV感染者がいる。判決に感染者支援の活動家から「一般社会のHIV感染者への認識にマイナスの影響が出る」「妻にも家庭生活を送る権利がある」などと批判が出ている。
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2007年11月02日22時13分
http://www.asahi.com/international/update/1104/TKY200711040111.html
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気になったポイントは3点ある。
・「呪い」とはいったい何か
・「セックスは結婚に不可欠の一部だ」
・批判が出ていること


「呪い」とはいったい何か
「のろいだなんて、インドの人は遅れてるなぁ・・・」とかお馬鹿なことが言いたいわけでは当然なく、この呪いというものが彼らにとってどういった事象を指すものなのか、非常に興味がある。というのも、私の修士のテーマの候補のひとつとして、Papua New Guineaに暮らす人々の疾病観、特にエイズに関するそれを探り、PNGのエイズ対策に反映させる、というものがあり、彼らもまた「呪い」を持つ文化であるためだ。(11月後半より結局行くことになりました。VISAがおりた^^)
先進国と彼らと暮らしてきた文化が違うのであるから、世界観、疾病観は当然違ってくる。違うから対策は難しいのだが、その違いを理解することができるようになれば、逆にそこをターゲットにすることも可能になってくる。

「セックスは結婚に不可欠の一部だ」
というフレーズに、不思議な聞こえはそんなにはない。もちろん夫婦の性がどうあるべきか、ということは夫婦の間だけで決めればいいことであるが、夫婦生活の根幹をなすことのうちの一つであることは間違いがないし、セックスが結婚に不可欠の一部かどうかで意見が食い違って、離婚に至るというケースがあってもそんなに不思議ではない。それにもかかわらず、

批判が出ていること
を私たちはどう理解すればいいのだろうか。今回、批判しているのは、「感染者支援の活動家」と出ているのだが、この人はいったい誰なのだろうか。途上国の人だろうか。HIV-positiveの人だろうか。
確かに今回の判決により、「一般社会のHIV感染者への認識にマイナスの影響が出る」のは避けられそうにもない。ほかにも同様のケースで離婚が増えるだろう。「妻にも家庭生活を送る権利がある」という主張もまた当然のように受け入れられる。ドラマ仕立てのストーリーであれば、妻が泣きながら告白すると夫がやさしく妻を包んで君に寄り添っていくよ・・・となるといいのだろうが、しかし、だからといって、妻のHIV感染を理由に離婚する男の決意を頭ごなしに否定するのはいかがなものだろうか。
そこに暮らす人がいて、それから初めてHIVに対しての活動が可能になる。HIV活動にあわせて人々は生きているわけではない。「活動家たち」の批判は本末転倒にすら聞こえるし、もし、彼らが先進国の人だったり、特権階級の人々だったりしたら、これは同時に非常にパターナリズムに満ち溢れていることになる。HIVとともに暮らすコミュニティを管理の対象としてみているのではないかと疑えてしまうのである。

日本で2000年に総務省によって「エイズに関する世論調査」が実施されており、そのなかに、配偶者がHIVに感染した場合の対応に関する質問があった。

「従来と同様の生活をする」と答えた者の割合が54.9%と最も高いものの、離婚を選択するものも少数ながら存在する。日本でこのまま離婚が成立するかどうかは別の話だが、とはいっても、離婚を希望するものはまちがいなくいるわけで、そうなると、すぐに離婚は認められなかったとしても、おそらく夫婦関係の破綻が生じ→離婚事由となるだろう。それと同じことが途上国には認められない、批判の対象になるというのは少しおかしな話ではないだろうか。

先進国に認められることは途上国にも認められるべきである。先進国に暮らしていると、彼らのことを「上から目線」で何かと見てしまいがちだが、忘れることなかれ、途上国は先進国の管理対象ではないのだ。


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▼今回の議論では、完全にコンドームが抜け落ちていた。果たしてコンドームをつけてのセックスが「呪い」になるかならないかの議論はあったのだろうか。
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▼裁判での離婚/民法
第770条(離婚原因)
夫婦の一方は、次の場合に限り、離婚の訴えを提起することができる。
 1 配偶者に不貞な行為があったとき。
 2 配偶者から悪意で遺棄されたとき。
 3 配偶者の生死が3年以上明らかでないとき。
 4 配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込みがないとき。
 5 その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。
◆〆枷十蠅蓮∩姐狢茖厩罎ら第4号までに掲げる事由がある場合であっても、一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認めるときは、離婚の請求を棄却することができる。
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▼インドのHIV/AIDSの状況
【Global Fund】
http://www.investinginourfuture.org/india/(英語)
http://www.jcie.or.jp/fgfj/03/03-2/india/(日本語)
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投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-10-29 17:39:00 (509 ヒット)

脳死臓器移植の可否の意思表示に関して議論される際に、自己決定権と呼ばれるものがベースにある。自分の人生における決定は、公共の福祉に反しない限り、自分の判断で下すことができる、という権利である。確かに、何を食べたいとか、どこに暮らしたいとか、何を生業にしたいとか、そういうことは可能な限り認められるべきなのかもしれないが、それは果たして自分の命の長さに関しても同様に適応されるべき権利なのであろうか。

数日前のニュースで、家族の臓器提供に7割の人が賛成していると言うニュースがあった。
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脳死下での臓器提供の手続きを定めた臓器移植法が施行されてから16日で10年になったのを機に、朝日新聞社は13、14の両日、全国世論調査(電話)を実施した。家族が意思表示カードなどで提供意思を示して脳死になった場合、提供に賛成するとした人は71%、反対が17%だった。現在の法律では認められていない15歳未満からの臓器提供については、46%が年齢引き下げを支持した。
http://www.asahi.com/life/update/1016/TKY200710160395.html
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自死に比べて、脳死臓器移植に関する死の決定は比較的社会に受容されている。しかしながら、自分の死に関して同じように自己決定をなされたという点では似通っている。それでも少なからず大きな差が生まれるのは、その死が「無駄死に」ではないとされていること(=つまり何らかの意味づけをされやすい状況になっているということ。)、そして何よりも制度化されたことにあるのだろう。(※1、※2、※3)

私は、臓器移植においても自己決定権のひとことですべて片付けてしまうのは、いかがなものなのだろうかと思うし、なによりもちょっぴり「寂しい」。(※4)つまり、「私」は必ずしも私個人だけのものではなくて、社会的な存在としての側面をも持つ。その「私」の命を、仮に他の命を助けることがあるにせよ、私個人の判断で絶つことは、殺人と変わらないのではないだろうか。そして、私の親族が体温が暖かいままに、その臓器を引き抜かれ、そのまま死んでしまうということになれば、それは寂しいことだ。すくなくとも冷たくなった祖父の遺体を目の前にした14のころの私であれば、きっと冷静に割り切ることはできなかったはずだ。
それに仮に、人を助けることができるという「大義名分」があるにせよ、その大義名分が微妙にすりかえられていってしまう可能性は少なからずあるという意味では、いずれにしろ非常に怖い。

それでも、家族の脳死臓器移植に対して71%もの人が受容しているのは、たぶん、自己決定権に対する、一種の諦観(あきらめ)が私たちの中にはあるのだろう。その人が決めるのだから、周囲は口出しをするべきではないという感覚の存在――本当はいやなんだけど、なんとなく違和感を持ちながらも納得せざるを得ない――があるのではないか。

しかしながら、自己決定権という「専門用語」に縛られる必要はないのである。医学モデルのみで世界を固められ、そこにある「つながり」を阻害される感覚がもし私たちにあるのだとすれば、それには明確にNOというべきである。そもそも医学モデルだけで世界を捉えることは不可能なのである。

そう考える私には、小松美彦の「死は共鳴する」という言葉、また健康科学・看護学科でならったPerson-in-Contextという言葉は非常にしっくりくるのである。

医学だとか医療従事者への信頼というものは、素人が理解できないことがら、もしくは冷静な判断ができない状況の存在の裏返しで成立してきた。(※5)そして、強大な依存を医学に対して私たちはしてきた。しかしだからといって、その医学モデルに拘束されるのは、完全に本末転倒であるのだ。

◇  ◇  ◇


たぶん自分の家族が脳死臓器移植が必要な状況に陥ったとき、私はどうなるのか、よく分からない。「よく分からない」というのには、いろいろなフェーズがあって、(1)そもそも移植を受けるべきか受けないべきか決定が下せなそう。(2)受けることにしても、ドナーが死んだという事実の存在を頭の片隅から消し去ることはできない。(仮に消し去る必要がないとしても、そういう意味ではなく、人生の中心的命題として常に目の前にfloatingしそう。)(3)受けないという決定をしたときは、家族を「見捨てた」ような感覚に陥って良心の呵責に悩むかもしれない。

さらに身勝手なのは、家族がドナーになることよりも、レシピエントになることのほうが受け入れやすそうと言うことだ。全く以って無責任だな。でもこれが本音かもしれない。

と、こういう風にやってむにゃむにゃ、人類がただでさえ忙しいのに、考えないといけないところに医療技術の進展による「人間疎外」の問題があって、さらに問題なのは、これがモダンタイムスで語れらたのと同列で語られないことなんじゃないかなと思っている。それは、なんだかよく分かるようでわからない「正統性」が医学にはあるからだと思っていて、最先端医学と言う文脈でも、国際保健協力という文脈でも全く同じなんだけど、「人の命を助けるゾ!」という正当性のようなものを前面に出すことで、とりあえずみんないろんな不都合はおいておいて納得しちゃう。そういう意味では、「医」と言うものはきわめて特殊なのではないだろうか。産業が発展するって言ったって、やっぱり人は単調な機械作業には耐えられなかったんだけど、医療の場合は、結構、 「不都合」へ反応する閾値が高い。もちろん、それだけ「命」に価値を置いているって言うこと、といってしまえばおしまいなんですが。

◇  ◇  ◇


日本人の死、それからその裏返しの生に対する価値観って言うのは、西洋的なものとはやっぱり違うんだろうから、そういう意味では、日本の基準をしっかり作ることが大切なんだと思う。生に対して思いっきり固執するかと思いきや、意外と死に対する諦念がある気もする。ピンピンコロリみたいな話だ。

しかし、ピンピンコロリがいいと散々いっていたはずの祖父が、何度も入退院を繰り返すようになって、俺は、まだ死にたくない、こんなはずじゃなかったというようになったいくのをを聞いていると、死を実際に(ある程度)意識したときに、また人の死生観っていうのは思いっきり変わるんだなと。そこもまた難しい話だ。

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(※1)「死ぬ意味」が「生きる意味」を超えたら果たして死ぬに値することになるのか。それを制度として受容するということはいかなることなのか。
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(※2)波平恵美子の『医療人類学入門』の中に書いてあった臓器移植へのネガティブな国民感情から考えると、だいぶ状況は変わっているようである。私個人も、一時期は臓器提供意思表示カードを持ち歩いていたものである。
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(※3)その死が「無駄死に」ではないということは、臓器移植推進派による一連のキャンペーンによって声高に叫ばれている。どこどこの難治性患者がアメリカにわたるためにたくさんの大金を募金で集め、アメリカに何とかわたり、手術成功しました、日本では臓器移植の制度が成り立っていないから、わざわざアメリカに行かないといけないんです・・・。しかし、ドキュメンタリーで取り上げられるケースのほとんどが、レシピエント側(しかもハッピーエンディング)であり、ドナー側が完全なブラックボックスになっていることは、福音としての脳死臓器という面のみの強調になっていよう。
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(※4)小松美彦がほぼ同様のことを述べているので、詳しくは、そちらを参照のこと。(「脳死・臓器移植の本当の話」
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(※5)基本的に、インターネットの検索でなんでも「暴かれる」状況が作り出されているのは、医療従事者の専門性の相対的な低下をもたらす。マジックの種をばら撒かれたときに、それでもマジシャンはマジシャンでいることができるだろうか。
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家族の臓器提供に賛成7割 本社世論調査
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2007年10月16日23時02分

 脳死下での臓器提供の手続きを定めた臓器移植法が施行されてから16日で10年になったのを機に、朝日新聞社は13、14の両日、全国世論調査(電話)を実施した。家族が意思表示カードなどで提供意思を示して脳死になった場合、提供に賛成するとした人は71%、反対が17%だった。現在の法律では認められていない15歳未満からの臓器提供については、46%が年齢引き下げを支持した。
 99年3月の調査(面接方式)では、同様の条件で家族が脳死になった場合の臓器提供に賛成は61%で、今回はそれより増えた。20、30代では賛成が8割を超すなど若い世代ほど高い傾向にある。
 現行法では脳死下の臓器提供には、本人の意思表示と家族の承諾の両方が必要。だが同法に基づく臓器提供が10年間で62件にとどまっていることから、家族の承諾だけで臓器提供できるようにする改正案が提出されている。調査で提供に本人の意思確認が必要かどうかを尋ねると「必要」は48%で、「家族の承諾だけでよい」の40%を上回った。
 15歳未満の子からの提供を「認めるべきだ」としたのは46%で、「認めるべきではない」の35%を上回った。「認めるべきだ」とした人のうち、下限年齢を「12歳まで」としたのは22%。「年齢制限をなくし乳幼児にも認める」としたのは66%だった。
 脳死を人の死と考える人は47%。99年5月調査では52%でほぼ横ばい。今回、心臓停止に限るべきだとした人は34%(前回30%)だった。
(朝日新聞 http://www.asahi.com/life/update/1016/TKY200710160395.html)
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投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-10-21 17:36:00 (513 ヒット)

本郷三丁目のスターバックスを出ると、目の前で鳩が死んでいた。特に外傷があるわけでもなく、ポテンと「普通」に。

鳩に限らず、鳥が死んでいるところを見ることはなかなかない。私の人生の中でも、鳥の死体を目にしたのは、本当に数えるばかりである。犬・ネコなどの愛玩動物は飼い主がいるので、飼い主に葬ってもらえていて、私たちがその死体を目にすることがないのは当たり前だとしても、ハトを飼っている人は、ほぼ皆無だろうから、もっとたくさん死骸を目の当たりにしてもいいような気がする。特に、あれだけごみ置き場をたむろしているカラスを飼っている、なんていう話はいまだかつて聞いたことがないから、あのカラスたちの老後の行方は非常に不思議だし、もう少し道端に転がっていてもいい気がする。しかし、それを私たちが目にすることはほとんどない。

・・・という話を以前友人にしたら、動物には死の概念がなく、苦しければ自分が攻撃を受けていると認識し、身を隠すのだ、と話していた。それを思い出し、今さっきGoogleで検索したら、やはり同様の内容が出てきた。記事に因ると、ネコの場合、
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自分自身の死という概念を持っていないので苦しければ自分が攻撃を受けていると思ってしまう。その攻撃相手から身を隠そうとするのが当然の反応。身を隠してひとりになり脅威のもとが通り過ぎて苦しみが和らぐのを待つとあり、体調が優れないと本能的な防御反応として安全な場所に身を隠す。
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つまり、動物が身を隠すまもなく動けなくなる場合しか、私たちは、その死体を目にしないということなのだろう。そうなると、さしずめ心筋梗塞か、脳血管障害か。ちなみに、以上の内容は、Catwatchingという書籍に書いてあるらしい。しかも、トリビアの泉にも紹介されているとのこと。

この書籍ではネコの場合のみ言及しているのだが、鳥の場合も同様のことが言えるのかもしれない。立つ鳥あとを濁さず、とはこのことか・・・。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-10-15 17:43:00 (504 ヒット)

Memento Moriとはラテン語で「死を忘れるな」という意味の言葉で、死だとか物事の終わりの必然性を人に説くことばだ。その言外の意味としては、「人はいつか死ぬから今を楽しめ」というものであったり、「今は栄えているけどいつかは滅びることもあるのだから気を抜くな」というものであったりさまざまであるのだが、私にとっては、「いかなることも当たり前にするな」という意味に収束する気がする。

私たち、すくなくともこのブログを読んでいるほとんどの人は、この現代に生きていく上で、死を意識することはほとんどない。あたかも当然のごとく、すべてが永遠に続いていく、そんな気すらしていてもさしあたってあまり支障はない。そして、その幸せのあまりに、いろいろなこと―それは、人の恩だったり、自然の美しさだったりするのだが―を当たり前にしてしまうことがしばしばある。

それでも、少なくとも日本にいるよりかは死ぬ可能性が高そうな場所に行こうともなると、やはりいろいろなことを振り返る。そしてそんな時、なんだかすべてに感謝する気に、いや感謝しなくてはいけないのではないかという、pessimisticなモードになり、そして、Memento Moriという言葉を思い出すのだ。まぁ、人生の振り返りを強制的に行うという意味では、まんざら悪いことでもないのかもしれない。

ということで、一ヶ月ちょっとパプアニューギニアに行ってきます。結構、観光地化された「いい」ところらしいです。うれしいようなうれしくないような。たぶんうれしくない。
まあいずれにしろ、死なないはず◎


【補足】
と書いた後で、なんですが、6人の調査チームに対して結局ビザが下りず、現時点で、渡航延期が決定されました。(10/16) 次にいくとしたら11月後半の可能性が高いのですが、それまでにもビザが下りるかどうかわかりません。でも下りたときはきちんといけるように、そこまでには卒論を仕上げておきたいところです。


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