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国際保健/開発:国際保健や開発に関して私なりの論を展開しています。
フィールドノートから:フィールドでの試行錯誤。
FYI:興味深いイベントを紹介!
ツレヅレ:書評、映画評、ツレヅレと。
投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-10-22 8:30:00 (792 ヒット)

前から憧れていた、医師で写真家の山本敏晴さんの写真展が銀座のCanon Galleryで開催されていたので仕事帰りに、スタッフと一緒に訪れた。

「あなたのたいせつなものはなんですか? …カンボジアより」と題されたこの写真展には、全部で40点くらいであろうか、カンボジアに住む子どもたちと、その子の住む環境が
写真で描き出されていた。そして、同時に展示されていたのが、その子供たちが描いた、一番大切にしているものの絵だった。

山本さんの写真は、貧困をそのまま描き出している。そのままに。つらい貧困だけど、そこには必ず、力強く生きる人がいて、笑っている子どもがいる。それがそのまま描き出されている。

貧困の写真を撮るとどうしても、悲惨な絵をとろうとするのが、悲しきことに、大半の写真家の、そして写真を選んでマスに届ける編集者の本能かもしれない。少しの間により多くの関心を引くためにだ。

でも、それでは本当の関心を引いたことにならない。

一番大切なのは、今、この瞬間に、どこかで、誰かが生きている、そういったほぼ無限の広がりをもった空間が、私たちとそれを囲む世界に存在することを実感させることだと思っている。世界をひとつだと認識させることだ。

う〜ん、分かりづらいが、
今は眠いので、そのままにしておこう。

で、何気なしに足を運んだ写真展だったのだが、なんと、ご本人がいらっしゃった。もうね、すごくうれしかったですよ。ずっと気になっていた写真家だったので。少しお話しさせていただいたいて、活動のこと聞かせていただきました。

ここのところ、貧困撲滅ということに関して悩んでいた私ですけど、少し気持ちが救われました。問題は根本的には解決してないのですが。

でも、名刺渡した時に、学生か、教職員か聞かれたのは、まぁ、しょうがないんだけど、2mmへこみました。講演を是非聞きに行ってみたいと思いますが、今度は間違われないように、若ぶっていきたいと思う井上陽介なのでした。。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-10-17 8:33:00 (669 ヒット)

今日、用賀にあるインターナショナルスクールで働いているNGOのオーストラリア人ボランティアとともに、小学4年の女の子、23人に対して、開発に関してのワークショップをしてきた。

とは言っても、私は、終始、お手伝い。ちょっとカメルーンのことを話したり、子供たちの簡単な手伝いはしたが・・・。

とにかく。

ここ2ヶ月で"right&resoponsibility"を学んできた彼女たち、反応が実によく、聞いていてこっちが、なるほど、とうなずくことがしばしばあった。

世界の貧困のなかに暮らす人たちがどんな権利を必要としているのか、ブレインストーミングをしたり、自分たちが考える、世界の人たちの必要な権利を紙に書き、皆でそれをつないで、大きなホワイトバンドをつくったり。

なんか、みんな一生懸命やっていて、いいなぁって。

MDGsの期限である2015年。彼女たちは20歳。

彼女たちはどのような世界を見るのだろうか?


====================
関係ないけど、すごくいい学校でした。みんな一生懸命やっていたし、みんなお嬢様って言う感じが程良く出ていました。それから、彼女たちの中で多様性の中で暮らすことの贅沢さを自覚していたのが、すごく印象的でした。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-10-16 8:35:00 (681 ヒット)

カメルーンに行った際にお世話になったアイセックの担当者の方、そして、その愉快な仲間たちと、今晩、ご飯を食べに行った。

愉快な仲間たちを含めた彼らは、アイセックのアフリカ研修を充実させるために、研修経験者に話を聞いている最中らしい。まぁ、いかんせんあんまり仕事がなかった私なので、何を聞かれても大したことわかんないから、適当に好き勝手なことを話させてもらった。貧困とか、アフリカとか、諸悪の根源:ジャンルイスとか、毛髪のこととか・・・。役に立ったら、良かったです。

で、そんなのはどうでもいいのだけど、今日、せまっくるしい「すずめのお宿」で話していて
改めて感じたことがいくつかあった。

で、一番強く感じたのは、一番感じてはいけないことかもしれないこと。

貧困撲滅って本当に出来るの?

そもそも、何をもって貧困撲滅という状況とするのか、さっぱり分からないが、仮に、その世界では、みなが「文化的で、健康的な、最低限度の生活」を営んでいるとすると、「貧困撲滅を成し遂げた」世界に住むということを私たちはどのくらいで理解出来ているのだろうか?私たち、というのは、先進国で貧困撲滅を訴えている人間全てだ。

「貧困撲滅」を成し遂げるには、今、この「世の中」がこの生活を享受するために、様々な犠牲を払っているように、大きな犠牲を払わなければいけないはずだ。

おいしいご飯だって食べられなくなるかもしれないし、エネルギー効率の悪い、食肉が配給制になることすらあるかもしれない。日本企業の海外進出は相当制限され、日本の失業率はますます増加して、教育を満足に受けることが出来ない子どもが続出するかもしれない。電気だって、夜12時以降は使えないとか、冷房を使ったら、秘密警察に捕まるとか、
あるかもしれない。明らかに大袈裟だけど。

こういった生活を「私たち」は覚悟しているのか?少なくとも、今の「私」にはそこまでの覚悟はないような気がやっぱりする。しかも、「一生懸命」になっている人がそうなら、そうじゃない人の賛成なんて得られるわけない。しかも、そうじゃない人が多数派。

別に、そうじゃないことが、悪い、とは言わない。むしろ自分に正直なのかもしれない。命削って築き上げてきたものが、「ドッカノダレカ」においしいとこ取りされるのはやだろうし、世界中が同じスタートラインから始めたって、結局、今の世界にたどりつくかもしれない。それは、フェアなのかな?

国際政治に限らず、「平等」という概念は難しい。そこに違いがあるからね。

それに、結局、人は勝手な生き物。

もし、今、貧困のなかに暮らす人と「私たち」の立場が入れ替わったとしたら、きっと彼らも、同じような生活を繰り返すのだと思う。


はっきり言って、なんだか切ないけど、それに向かい合わないといけないのかもしれない。ありえないけど、淡い未来に期待しちゃうのかもしれない。逃げたいけど、それに向かい合ってしまう自分がいるのかもしれない。

うひょひょひょひょ。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-10-1 8:37:00 (665 ヒット)

今日、とうとうあの噂のホワイトバンドを買いました。別にわざわざ着用しなくても良かったのですが、昨今のバッシングを見ると、ちょっと寂しくて。

正直言って、ホワイトバンドの趣旨は私にとってはずっと昔から当たり前のことだったので、日本に帰って目の前にした盛り上がりは、拍子抜けですらありました。

はずし始めた人、多いと思うんですよね。このごろの報道を受けて。報道は誤解が大きくなっていくところがあると思うんだけど。で、少し危機感のようなものを感じて購入しました。

で、で、つけるからにはこの世の中に貧困がなくなるまでつけ続けます。それは10年後か、20年後か、50年後か、私が死んだ後か、知らないけど。「ホワイトバンドって2005年やってたやつだよねぇ・・・、懐かしい!」と世界が勝手な時間旅行をしていたとしても、「あんなのまだ付けてるよ」って、世界にバカにされても、つけ続けていきたい、と思っています。

ダサくなった時にこそ、ホントの「意思表示」が出来るような気がするのは、私だけでしょうか?


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-9-16 8:41:00 (704 ヒット)

今日、簡単なお話をNGOの方としてきました。キャンペーンの話、方法論や現状など色々説明していただきました。やはり問題になるのは、この問題を、いかに「わたし」の問題として捉えてもらうかということ。

どうしても実感のわかない様々な世界の諸問題。そりゃわきませんよね。相当な不感症。思いをはせるにしてもどうしても見当違いな感じになってしまいます。

どうしてそんなことが分かるって?

例えばみなさんの持つアフリカのイメージ。まぁ、いろいろあると思います。貧しい、大自然、戦争、飢餓・・・。確かにそういったイメージがウソであるわけではないと思います。でも何って、あの広大なアフリカにひとつのイメージを求めていること自体が相当乱暴ですよね。ましてや大きな文化多様性のあるアフリカに対してです。

******************************

一生懸命がんばっても、どうしても遠いどっかの国の問題。ホワイトバンドのキャンペーンだって、ホワイトバンドを付けてもらうこと自体なんて実はどうでも良くて、(全く良くないわけではないが、)大切なのは、腕につけられたホワイトバンドの意味を考えること。3つのアスタリスクの意味に思いをはせること。ホワイトバンドから世界をのぞくこと、そしてのぞきつづけること。

日本人は基本的に広告に踊らせていますから、むちゃくちゃ熱しやすく冷めやすい。しっかりとした広告をうたなければ、「あぁ、昔ホワイトバンドってあったよね〜」と振り返るだけの、
ナタデココみたいな存在になってしまうわけ。

それじゃあ、もちろんいけないわけで。私たちは、「遠いどっかの国」の問題にとりくまなければいけないのです。みんな何となく分かっていること。でもはっきりとした答えはなかなかない。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-9-16 8:40:00 (623 ヒット)

寄付金は貧困国の子供たちに一円も行かず
「ホワイトバンド」おカネの不思議

というのは週刊現代10月1日号

私、新聞の帯を見ただけで、記事をまだ読んでいませんが、う〜ん、勘違い。そんな感じですね。

マスコミにしてみればしてやったりと言った報道なのでしょうが、私に言わせれば見当はずれな報道もいいところ。ホワイトバンドの意義を考えていただければ、途上国の子供たちに一円も行かなくても理解できるべきなのです。

今日の貧困問題、解決するには「おカネ」の問題だけではすみません。というのも、現代社会の経済的な、そして政治的な構造自体がこの貧困の問題を生じさせていて、そこから変えなければいけないのですね。

そんな変化をもたらすには先進国政府の力が必要なのは言うまでもありません。だって力握ってんだもん。そして、その先進国政府を動かすのは、国民の力です。

今回のホワイトバンドはその国民に貧困の問題を考えてもらうために、おこなわれているキャンペーンの一環なんですね。国民の啓発が目的で、それによって生じる+を求めているんですね。だから、短期的に見て途上国の子どもにおカネが行かなくても、ある意味当然なんですね。ターゲットが違うんだもん。

第一、300円でしょ?
少し考えれば分かるでしょうに・・・。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-4-1 22:30:00 (713 ヒット)

とうとう22歳の誕生日を迎えました。そしてカメルーンへ出発する前日となりました。

準備もぜんぜん終わっていないというのが今の状況ですが、正直、日本をたつ事に関して動揺しはじめています。いま、このように書いていても心臓の高鳴りが体の中で響きます。なんともいえない緊張感、孤独感、そして漠然とした恐怖感。自分の中でどんどん大きくなっています。

自分がどうしてカメルーンに行こうとしているのか、わからなくなったり、やたらとさびしくなったり。こんなことなら行くことにしなきゃよかった、なんて思ってみたり。

まぁ、でもこのくらいの方が人間らしくていいか。

この一年がどのような展開をするのか、もちろんぜんぜん想像がつきません。ただ、今までのように、しっかりとおちついて、ひとつずつこなしていけば、きっと何とかなるはずです。そして、この一年が私にとって欠かすことのできない一年になると信じています。

だから、前を見つめて、一歩一歩歩きはじめたいと思います。そして、願わくば、笑顔を失わんことを。

とにかく、がんばってきます、と思ったけど、何をがんばるかわからないので、しっかり生きて帰ってきます。しばらくは書くことができないかと思いますが、それまでしばしお待ちを。それではこの一年間も井上陽介をよろしくお願いします。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-3-30 22:28:00 (656 ヒット)

サッカー勝ったらしいですね。私は見ていなかったのでよく分からないのですが、オウンゴールとか? オウンゴールしてしまった人は大変ですね。相当、同情します。

まぁ、勝ち負けはどうでもいいんですが、(よくない人はすいません!)いつも気になることがあります。それは、君が代斉唱と日の丸掲揚です。卒業式シーズンになると、よく文句を言っている人たちは、ああいうときどうしているのでしょうか? すごく不思議です。誰かそういう人がいたら教えてください。

私自身は変わった論旨の人間です。どちらでもないんですよね。つまり、廃止するというわけでもなく、正当性を主張するというわけでもない。現代人の典型的な思考回路かもしれません。

廃止には反対です。廃止するだけで問題の解決を見ようとすることは本質を全く捉えていません。人は恐ろしいほど忘れやすい存在ですから、本当に語り継がないといけないことまで忘れてしまいます。(しかも、他に何を掲揚し、何を歌うのだ??)

とはいえ、正当性をもっともらしく主張するわけではありません。近隣諸国の心情の理解が不可能なわけではもちろんなく、むしろ、私が彼らと同じ立場にあれば、同じような、ことによるとそれ以上の憤りを感じるかもしれません。

ただ、注意をするべきは、教科書で学ぶ「歴史」はあくまでも恣意的な寓話であること、そして誰もが(そこの場にいたとしても)その状況を完全に理解したと言えるはずがないことだと思います。

国歌や国旗にはその国の歴史が染みついています。人々の人生が色濃く反映されています。その歴史をしっかりと見つめ、良きものをしっかりと後世に伝え、悲しい歴史が繰り返されないようにすることが何よりも大切なことなのではないでしょうか。

歴史は過去の人々の生き様を学ぶだけでもとても楽しい教科です。しかし同時に大切なのは過去を見つめて得たものを活かし、どのように前を向いてどのように生きていくか考えることのはずです。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-3-28 22:26:00 (759 ヒット)

カメルーン到着一週間前と言うことで今日からマラリア特効薬を飲もう!と思った私は、六本木にあるインターナショナルクリニックへマラリア特効薬を買うべく訪れました。
飯倉片町の交差点にあるんですが、この病院は見た目は古ぼけていてしけた洋館なんですが、看護婦さんがとても親切で感じがいいので私は好きです。そこそこおすすめできます。

さて、マラリア薬ですが、渡航先によっては薬剤耐性ウイルスが存在している場合があるということで、気を付けなければいけないとのこと。(カメルーンはまだ、薬剤耐性ウイルスの報告はされていないそうです。)しかし何よりも気になったのは、めまいや吐き気、嘔吐を起こすことがあるとの注意書き。それから不眠症や怖い夢を見ることがあるそうです。

なんてやっかいな病気なんだ。

飲まなければマラリアに思いっきりかかるし、のんでも悪夢とは。どっちもいやだ!
第一、悪夢ってどんなだよっ!!ってそもそもカメルーンにいかなければいいのでしょうけど、もはや、そういうわけにもいきませんな。まぁ、渋々飲ませていただきます。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-3-26 22:25:00 (595 ヒット)

今日は朝から、いろいろなところに買い出しに行っていました。
いい加減に準備しないと前日の夜に泣くことになるからです。
国内や、海外でもアメリカとかヨーロッパとかに行くのであれば、
「まぁ、何かなかったら行ってから買えばいいんだしぃ〜。」
と、たかをくくっていられるのですが、そこは、第三の故郷カメルーン、
そうは問屋が卸しません。
なかったら本当にないまま6ヶ月が終わることでしょう。
うーん、こわい。

主に渋谷で買い出しをしましたので、買い出しの合間を縫って、
以前の勤務先の塾へ顔を出しました。
出発の報告をするためと、ある人間の合否が気になったためでした。
彼は、高校の後輩であり、そこの塾の生徒でもありました。

結果は不合格でした。

受験はとてもシビアです。
努力のの積み重ね、学校への思い・・・、というアナログなものが
「合格」と「不合格」というデジタルな世界に区切られてしまう。
もちろん合格する人にはそれなりの理由があって、
また同時に不合格という結果に終わる人にも、
それなりの理由があるのかも知れません。
それに、受験制度として、ほかに妥当な制度が見つかるわけではなく、
「無難」な制度だとは思います。
でも、あまりに重く、むごく、つらい現実です。

自分自身は、合格しました。
ただ、その合格が不幸を引き起こしました。
人間関係も大いにこじれてしまいました。
それはとてもつらかったです。

「あなたに浪人生の気持ちはわからない。」
確かにその通りです。
私は何も言えませんでした。
今となっては、誰の気持ちも完全にはわからないものだ、と気がつきましたし、
わからないからといってわかろうとすることをやめるのは間違っていると、
思うことができますが、当時の私にとっては、重すぎる言葉で、
どうしようもない状況に、心はすさみました。

仮にも青春を謳歌すべきようなときに、このような人間関係を
わざわざ生み出すことに対してはどうしても納得がいきません。


実は、用事があったらしく、本人が来ていましたので少し話しをしました。
顔は晴れやかとは言えませんでしたが、時折笑顔がありました。
すごくほっとしました。
ただ、きっと心の中にはいろいろな思いがあると思います。
きっといつまでも心に引っかかるかも知れません。
でも、前を向いて自分の足で一歩一歩着実に歩けるようになる日が
いつか来るはずです。
心の底からにこにこできる日が。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-3-25 22:20:00 (732 ヒット)

今日は上野動物園に久しぶりに行きました。
動物園自体に行くのが久々のことだったので、とても新鮮でしたし、
実は動物園というところが大変面白いことであったことに気がつかされました。

飼育されている動物の観察が面白いのはもちろんですが、
そこになされている説明も同時に興味深いものでした。
また、歩く道々にも様々な工夫がしてあって、
楽しみました。

今までは遠い異国の地から来たそれらの動物に対して、
それこそ「つれてこられて可哀想」といったような哀れみの気持ちですとか、
ある種のエキゾチシズムを感じていましたが、今回は少しばかり異なりました。
ゴリラの生息地として列挙されていた中には、
なんと第三の故郷(笑)、カメルーンの文字が。

勝手にですが、ゴリラに対して親近感を持ってしまいました。
そして、カメルーンがとても近くなりました。
ただ、同時にすごいところに行くんだな、としみじみ思ってしまいました。

でも、どこに行くかということはあんまり大切なことではなく、
私が一番忘れてはいけないことは、その場所に生きる人と同じ目線に立って、
(難しいことなので、少なくとも、同じ目線に立とうとすることを忘れ続けずに、)
同じように生活をしようと努めることです。
一番してはいけないことは、日本での生活との比較の中で
カメルーンの生活を評価することです。
絶対に、とけ込みます。

そんな風に決意を固めながら、上野の森を歩いたのでした。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-3-21 22:19:00 (678 ヒット)

今日は世界銀行の東京事務所でおこなわれた、
ユース向けのイベントに参加してきました。
話の内容は以前に参加したイベントの内容と多少重複していましたが、
そこにいらした様々な活動をされている人々とお話をさせていただくことで
様々な人の考え方に触れることが出来て、そして何より、
自分自身の考えを多角的に投影することが出来て、
大変有意義な時間を過ごすことが出来ました。
普段は特定の団体で活動することがない私ですが、
やはり、時には様々な人と語り合うことが必要不可欠ですね。
まぁ、あたりまえですけど。

その「当たり前」の時間の中で私が再認識したこと。
それはお金のことです。

私のホームページの方でも少し触れていますが、
私は「開発」とは正反対といっても過言でない経済活動に
大きな興味があります。
経済活動を主たる目的とするのではなく、あくまでも、
開発を達成する上で欠くことが出来ないはずの経済活動に私は興味があります。

開発をやる人間は大抵「アツい」気持ちをもってその活動に関わっています。
今日また、それを再認識しました。
そして、そういう人たちで世界が溢れれば、
貧困のない世界は訪れるかもしれません。
今のままでも少しずつはそういう状態に向かっているのかもしれません。

ただ、私が一番取り込みたいのは、「冷たい」気持ちをもった人たちです。

世の中は広いのですから、色々な考え方があります。
「マネーゲームが全てだ」という人がいることも否定はしません。
(自分がそうなりたいかどうかは別ですが・・・)
私はそういう人たちを「冷たい」人たちと呼びます。
(ちなみに、別に軽蔑しているわけではありません。わかりやすさのためです。
ただ、何でもかんでも二項対立にすると、昔の塾の先生に怒られそうです 笑)
彼らは周りの目を察知し資金提供をすることはあったとしても
義務としてとしか取り組みません。

一番開発に縁遠い人たちをどうやって取り組んでいくか。
さらに言うとどのような形で彼らにplusになるものを提供できるか。
世の中はギブ・アンド・テイクだけではないと思います。
ただ、今の日本のNGOの姿勢はテイクばっかり、という印象を持ってしまいます。
被援助国の方々にギブがあればそれで十分なのかもしれませんが、
実際に資金提供をするはずの人たち、potential donerへの視点が
新しい流れを生み出すはずです。

つまりお金で動いちゃう人たちの気持ち、冷たい気持ちを知ると、
アツい運動に大きなうねりを起こせるのではないかと思っているというわけですな。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-3-20 22:17:00 (682 ヒット)

今日は色々なことがありました。

お昼には勤務していた塾での合格祝賀会のようなものがありました。
みんな合格を勝ち取った生徒たちですし、
仲間とは久々の再会だったようですので、皆笑顔が溢れていました。

夜には大学の語学のクラスの仲間との集まりがあったのですが、
実は隠していたつもりのカメルーン行きがじわじわと広まっていたらしく、
なんだか送別会のような形になり、寄せ書きとお花を頂きました。
想像していなかったことでしたので、
とてもうれしく、思わずニコニコしながら家路につきました。

春はとても不安定な季節です。
それぞれが異なる道を歩みはじめ、別れを迎えます。
新しい生活も手探り状態で不安定な気持ちの中で過ごします。
空も、曇りがちで晴れ渡ることはありません。

でも、私にとっての春はあくまでもはじまりです。
希望を持ち、目を前に向け、これから始まる一年に
心を躍らせながら、サクラで一杯になった空を仰ぐ季節です。

そういう思いを改めてもたせてくれた一日でした。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-3-15 22:16:00 (691 ヒット)

私は多分、とてもわがままです。
そのことで多くの人を傷つけてきたような気がします。
今思い返してもたくさんの人に対して謝らないといけないような気がします。
全部、自分の都合でしか考えてないからそうなるのでしょうか。

第一に、自分が何を考えているかわからなくなることがあります。
別に複雑な理由があるとか、精神的な問題があるとかではなく、
ただ、純粋に、言葉通りにわからなくなることがあります。
そんなとき、人のことを傷つけてしまっているのかも知れません。

申し訳ない気持ちがないわけではもちろんありませんが、
多分、申し訳ない気持ちをもつことだけでは、
その人達に対しての謝罪にはならないような気がします。
きちんと生きることでしか、埋め合わせることができない気がします。

何でこんな事を書くか。
こうやって、カメルーンに行くとなると、
もしかしたら一生会えなくなるかも、と思ってみたりするわけです。
そんなとき、謝っときたいな、と思ってしまうことがあるんです。
でもこう考えること自体が、きっと自分勝手な気持ちからくるものなのです。
自分の気持ちさえ、すっきりすればいいっていうことですから。

何とかしたいという思いともに、しょうがないとも思います。
人にはみんないい面も悪い面も含めて、いろいろな面があるはずですし。
negativeなところではなく、positiveなところを考えて、
生きていくしかないのですから。
みなさま、私を見捨てないでください。

でも、これ以上は…。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-3-14 22:14:00 (717 ヒット)

ここ数日、書き込みが出来ませんでした。
一昨日は送別会でつぶれかけ、昨日は体調不良で・・・と、
色々理由はあったのですが、とにかく今日から復活します!

本日、世田谷区野沢にあるカメルーン大使館に
ビザの申請に行きました。
勝手に大きな建物と厳重な警備を想像していたので、
しばらく見つかりませんでした(^^;;;
二棟の一般住居がカメルーン大使館になっていました。

大使館内には10畳程度の待合室に、
ビア大統領の肖像と国旗が飾られていました。
スタッフは4人と小規模でした。

順調にいけば、あさってには、ビザが下りるそうです。
いよいよです。
暢気なことに、未だに実感はあんまりないのですが、
出発までの日数を数えてみた時に、
本当に出発の時が迫ってきていることを感じます。
残り少ない日々を、大切に過ごしたいと思います。


□□□カメルーン・ビザ情報□□□
申請受付時間:10時から12時
必要書類:申請用紙2枚、写真2枚(ID用)、黄熱病の予防接種証明書
行程表、申請金(14000円)
*詳しい連絡先は外務省のサイトから見てください。
*また、各自で必ず確認してください。渡航目的により
 申請の際に必要となるものが変わるはずです。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-3-7 22:10:00 (653 ヒット)

今日お台場にある東京港湾合同庁舎内の東京検疫所にて、
予防接種を受けてきました。これで注射に関しては、全て完了です。

今回カメルーンに行くに当たり、必要とされたのは、
A型肝炎、B型肝炎、破傷風、狂犬病、黄熱、
それから腸チフスと髄膜炎です。
(人によっては、他にも必要なものがあるかもしれませんので
もしカメルーンに行かれる場合には、しっかりと確認してくださいね。)

二度にわたって、打つ必要があるものもあり、
また期間をあけないといけないこともあるので、事前に計画を立てることが必要です。
私は高校生の時分、オーストラリアに行った際に、勘違いしてB型肝炎と狂犬病の
予防接種をうっていたので、うつ本数が少なくてすみました。
2月13日に、A型肝炎と破傷風の一回目を、
2月26日に、腸チフスと髄膜炎を、
そして今日、A型肝炎と破傷風の2回目、それから黄熱の予防接種を受けました。
腸チフスと、髄膜炎の予防接種は日本では認可されておらず、
検疫所で接種を受けられなかったので、麻布にある外人向けの病院でやりました。

注射は痛いです。しかも、高いので更に、痛いです。
今回の接種だけで全部で7万円くらいはしてるはずです。
正確な金額を出すのはあまりに怖いのでしていませんが…。

ただこればっかりは何よりもの保険ですから、
しっかり打っておかねば、ということでこの支出に耐えております。

そうそう、黄熱は生ワクチンと言うことで、特にその含有成分のためか
痛かったです。他の注射に比べると35%増しくらいです。
ただ、この痛さに耐えて、無事にアフリカで有意義な生活を送ることが
何よりもの野口英世先生の供養になると…。
あんまり、バカにしちゃいけませんなぁ。

でも、本当に昔の人は命がけだったんだなと改めて認識しました。
“そこ”にいる、助けを必要とする人を助けるという思いから、
本当に命をかけていたんですね。
今の私の途上国への思いが、そういう熱いものであると信じたいです。

でも、俺は絶対に死なない。
俺はずるいから、俺も思いっきり幸せになりたい。
そして、周りの人とも幸せな時間を過ごしたい。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-3-7 22:09:00 (682 ヒット)

今日は外務省とFASID共催でおこなわれた、
「開発への投資:ミレニアム開発目標(MDGs)達成のための実践的行動計画」
発表記念講演に行ってきました。

スピーカーは国連ミレニアム・プロジェクトを3年にわたり、
率いてきたコロンビア大学のJeffery Sachs教授でした。
MDGsは2015年までに極度の貧困を半減させるため、また、
発展途上国の人々の生活を向上させるための、費用対効果の高い具体策をふくめた、
今までで最も包括的な戦略とされています。
ホームページはhttp://www.unmillenniumproject.orgです。

講演の中で彼が一番強調したのは、
理論的ではなく実践的な側面にそって、開発援助をおこなうべきだというものです。
世銀やIMFに対する批判であると同時に、日本の援助の実績を高くするものでした。
ほんのちょっと前まで、被援助国でもあった日本の援助は
インフラ整備などを中心としたもので、これらは全て日本の経験に基づいた、
実践的な側面を強く持ったものだったと評価していました。
そして、そのノウハウを今、アフリカに活かすべきだ、と発言していました。

この計画書は包括的なものであると評価される一方で、
NGO関係者からは物足りない、つまり不足がたくさん見られる
という意見が多いようです。
それはそうですよね。当然報告書には限界はあります。
顔の見える援助にならなくなってしまうのでは、という発言も出ました。

私自身は、日本の援助の最大の弱点は実践的でしかないこと、
つまり理論に裏付けされてないことである、と少し思っている人ですので、
いろんな意見があるなって改めて思いました。
まぁ、言い切れることなどそもそも何にもないんですけど。

将来、私がどのような形で開発に関わるかは本当に分かりません。
ことによるとNGOの一員という立場で働くかもしれませんし、
あるいは、国際機関の一員として政策立案のような形で関わっていくかもしれません。
前者はpeople in needに直接ふれあっていることが出来るという利点があります。
ただ、同時に世の中に与えることの出来るインパクトは比較的小さいかもしれません。
後者は世の中をより俯瞰的に捉え、より大きな影響を世界に与えられる一方、
机上の空論になってしまうこともあるでしょう。
もしくは、全然関係ない仕事に就くかもしれません。

ただ、まぁ、一番難しいことなんですけど、
どちらの立場にも立てるような、(少なくとも立とうとして、
ない頭をフル稼働して、立つことを想像しようとするような、)
バランスの取れた人間でいたいと思います。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-3-4 22:07:00 (686 ヒット)

ここ数日体調がよくないのかな?と思っていたら、
どうやら体調がよくないみたいです。
来週火曜日には注射を打たないといけないので、
何とかして、体調を元に戻したいと思います。

私の体調はすごくわかりやすいんです。
というのも、明確なバロメーターがあるからです。
汚い話ですが、トイレットペーパーなんです。

私は通常、大変「快便男」でして、全然つきません。
全くです。だから紙がいらない、とてもエコロジーな人間なのです・・・(^0^)
ってそういうことを言いたいのではなく、
実は、紙につく時、これが体調の悪い時なんですね。
だから、ついた時は「あっ、体調に気を付けなきゃ」ってなるわけです。
アフリカに行ってもきっとこの法則は使えるはずですから、
紙に気を付けて生活したいと思います。

つくか、つかないか。
それが問題だ。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-3-4 22:06:00 (681 ヒット)

開発分野の問題には、どうするべきか分からない問題が多くあります。
もっといえば、答えが出ないのではないかと思わせる問題が多くあります。

資本主義経済体制に取り組まれたから、途上国はもっと貧しくなった、
という人がよくいます。まぁ、事実ですからね。
もともとは豊かな資源のなかで、貨幣経済に裏付けされていない
生活を送っていた彼らが、いわゆる先進国に都合のいい経済システムの中に
組み込まれたがために、貧困状態に陥ったとする意見です。
農作物は全て商品作物に植えかえられ、不安定な農作物供給体制を
強いられるようになったといいます。

否定するつもりではありません。
もちろん、そういう要素もあります。
しかし、大切なのはこれからどうするかという議論です。

一体全体、どうするのでしょうか?
もともとの貨幣経済に裏打ちされていない生活に戻ることはないでしょう。
かといって、今の経済体制のまま、貧困から脱出することが出来るのでしょうか?

全然分かりません。
世界がどこに向かっているのか。
もちろん、私の勉強不足によるところが大きいのでしょうが。

実は、私のいとこも開発分野に関わっています。
彼がカンボジアに渡航した際に、現地のこどもたちのために
キャンディーを持参しようとしたものの、忘れてしまったとのこと。
そのとき、彼の母親、つまり私の叔母に当たる人は冗談交じりにこう言ったそうです。

「あげなかった方がいいわよ。だってその子たちはこれから食べられないじゃない・・・。」

与えることで生まれる不幸ですか・・・。
ほんの冗談のつもりであったのでしょうが、開発に携わる人間が忘れてはいけない
大切な「何か」が含まれていると思います。
うーん、難しい。奥が深すぎる。
でも、だからこそやりがいがあるんですよね、きっと。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-3-3 22:04:00 (702 ヒット)

今日は、朝少し起きたあとに、また寝て、
そのあと、ついこの間まで働いていたアルバイト先に、
用事があって行きました。

で、友達と会って家に帰ってきたあとは、
先日AJFで紹介された、2003年度に外務省から発行された
HIV/AIDSに関する資料を読んでいました。

HIV/AIDS。
この問題ほど私に深く切り込んできた問題はかつてありません。
HIV/AIDS問題は、医療問題であるのはもちろん、政治問題、経済問題、
さらにさらに、文化の問題でもあります。
政策策定、薬価問題、性・ジェンダーの問題・・・。
関わり方は限りなくあります。
とても不謹慎な言い方ですが、知る限りでは、
もっとも「興味深い」問題である、と私には思えます。
これだけ、様々なアプローチをすることが出来る問題は私にとっては、はじめてでした。

うーん、やはり、少し語弊がありますね。
言い換えるならば、(さし当たっての)自分の人生をかけてもいいと
思っている問題だということでしょうか。
なんと言ったって、人々の生活・存在に深く根付いた問題です。
生きるっていうことと正面から向かい合う問題です。
やりがいがあるもの当然です。

どうしてこういう思いを持つようになったかはよくは分かりません。
ただ、ぼんやりと・・・。

でも、詳しくは今度にしましょう。
今たくさん書くと、これから書くことがなくなっちゃいますから・・・(^^;;;


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