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国際保健/開発:国際保健や開発に関して私なりの論を展開しています。
フィールドノートから:フィールドでの試行錯誤。
FYI:興味深いイベントを紹介!
ツレヅレ:書評、映画評、ツレヅレと。
投稿者: inoyo 投稿日時: 2010-2-28 21:57:05 (1027 ヒット)

 寒くて外に出るのが億劫で、朝からずっと宿舎の中で「篭城」していた。スーパーで昨日買ったチョコレートクッキーをかじりながら、明日のテストに備えて勉強を少しした。付け焼き刃に大した意味はないのだけど、ないよりましなことは間違いない。

 17時ごろに出張でやはり北京に来ている先生たちと落ち合って北京ダックを食べた。散々たらふく食べても3人で176元、日本円にして2500円くらい。地元の人たちがすこし奮発して訪れる感じのレストランだった。

 食べながら寒い、寒いと思っていたら、外はいつの間にやら雪景色。雪の予報があった水曜日を待たずに降ってきた。こんなに寒いだけでもかなわないのに、タクシーがなかなか捕まらずにますます萎えた。その上、花火が打ち上げられる音に肝を冷やした。銃撃戦でも行われているのかと思った。
 
 花火が打ち上げられているのは、今日が元宵節(げんしょうせつ)といって、春節からはじまった旧正月のイベントの最後の締めの日だからだ。部屋に戻ってきてもう1時間以上たつけど、花火がやむ気配は一向にない。北京の街並みは変わっても、花火をあげたくなってしまう人々の性分は変わらないのだろう。

 写真はかじかむ手で一応取った花火の写真、手前にも打ち上げている人たちがいたのだが、うまく写真にうつらなかった。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2010-2-28 12:55:08 (1079 ヒット)

 はじめて北京にやってきた。今回は一ヶ月ちょっとの滞在だ。今回は、中央民族大学と北京大学の研究協力者に会いに行き、博士課程の研究が円滑に進むようにすること、そして北京語言大学で授業を受けることが目的だ。

 空港から語言大学の宿舎に直接移動して、そのあともばたばたしていたから、北京の街をまだきちんと見ていない。だから、急速に発展する中国の政治の中心であるという「すごさ」は今のところ感じることができていない。とはいっても、車の通行量は多いし、通る人もなんとなくおしゃれな人が多いし、村と違うのは当たり前だとしても、海口ともぜんぜん違う。これからの一ヶ月で少しずつ、いろいろな北京の姿を見てみたい。

 しかしまぁ、とにかく寒い。さすがに北の京と書くだけある。朝晩は氷点下にまで下がる。植え込みには雪がまだ残っているし、今週の水曜日は雪の予報だ。春めき始めた東京から来ると、なんだか虚を突かれた感じになった。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2009-6-14 21:51:00 (905 ヒット)

今回は上海に2週間だけ滞在した。上海の全体的な印象としては、「思っていたよりも発達していなかった」といったところだろうか。

上海に行ったという人はみんな、「上海はすごい」「未来都市のようだ」などと賛辞を惜しまない。しかし、私には、それほどには見えなかった。なんというか、発展途上という印象をぬぐいきれなかった。


もちろん、万博に向けていろいろな場所が改築中だったということも影響はしている思う。しかし、たとえば、通りにごみが落ちているとか、人々の服装であるとか、なにかが日本とは違った気がする。歩いていても急に貧困地域に行き当たったり、たくさん立っている高層マンションも夜になって明かりがともっている部屋がまばらだったりした。なんというべきか、海口と同じように、急成長の脆さのようなモノを感じた。東京に比べて空がすごく広いことが私にはすごく印象深かった。成長の余白なのか、それとも・・・。

東京というのはやっぱりすごく成熟した都市なのだ。言いか悪いかは別にして「落ち着いてしまっている」。上海がその辺の「落ち着き」を持たないことが、「発展途上」を私に感じさせるのであろう。ただ一点付け加えるとすれば、私個人としては上海のほうが歩いていて興味深い。結構気に入った。
なんといっても安い飯は本当に安い、というところがいい。朝は2元、昼は8元、夜でも10元、一日20元(280円)でも十分に満足できる。ビールだって1本3元ー5元だ。がぶがぶ飲んでもOKだ。都市の発展の割には食べ物が安い。ちなみに下の写真は、井上お気に入りの炒面のお店。大学の門を出たところにたまに来ていた。本当に感じのいいお兄さんたちだった。
      


そういえば、海南島は性風俗が大変「さかん」であるというようにインターネットのサイトなどで書いてあったりする。だから、それは他の都市ではそういう場所がすごく少ないか、隠れたところにしかなかったりすることの表れなのかと思っていた。ところが、少なくとも上海では堂々と通り沿いに存在していた。(まぁ、冷静に考えれば、ない理由がない。もちろん、万博の時に来たら退去させられている可能性は大いにあるけれども・・・。)

ついでに男女の話を話すと、通りや電車の中でいちゃいちゃしている人が日本に比べて多い気がする。もちろん日本にだって、イタいカップルはいるけども、せいぜい高校生や大学生だ。こちらは結構インテリっぽい社会人でも堂々とベタベタしている。これには少しびっくりした。色恋が禁止されていた時代の反動なのだろうか。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2009-5-29 21:21:00 (890 ヒット)

空港から市内までタクシーで移動。空港を出てすぐ声をかけてきたあんちゃんの個人タクシーに乗って「しまった」。300元でどうだというから、そんなに高いはずはない、メーターを使って行け、と念押し。ところが、このあんちゃん、メーターを倒さずに走り出す。何度もメーターを使うように言ったのだが、そのたびに話をそらす。「あれは、新しいターミナルですよ。」

その後も、一向に使う気配がない。途中からは完全に頭にきて、どうやって中国語で踏み倒せるか思案。あんちゃんは友だちを助手席に乗せていたから、2対1。普通に考えたら負けるけど、なんか気の弱そうな二人だから、勝てる気がした。(わざわざ勝負する必要がないんだけど・・・。)

目的地の近くまで来ると、領収書はいるか?ときく。上海のタクシーはメーターに直結した領収書発行機が備え付けられていて、そこには走行距離、走行時間とともに料金が記されている。
メーター使っていないのに出せるはずがない。おうおう出せるものなら出してみろと思っていたら、汚い手書きの領収書を出してきた。これまたカチンときて、領収書を投げ返した。

タクシーの運転席の後ろには、監督官庁が書いたボード。そこには、運転手がメーターを使用しない場合、乗客は運賃の支払いを拒否できると書いてある。ようし、こうなったら徹底抗戦だ。これから長い調査という戦いが始まるのに、いきなり負けるわけには行かない。300元払えという運転手に、「警察に連れて行け」の一点張り。

最初は、強気に出ていた運転手も、こちらが覚悟を決めたとみて、だんだん弱気に。「先生、いくらなら払えるのですか?」と聞いてきた。

相場は大体150元程度であることは、空港の案内板に書いてあったので知っていた。こちらだって、別に相手をいじめたいわけではない。フェアな値段ならきちんと払うつもりだ。

150元払うというと少ないと文句を言う。とおりすがったタクシー会社のタクシーを止めて、料金を聞いた。すると170元位だという。仕方ないから170元払い、もっとよこせと騒いでいるあんちゃんを振り切ってホテルに入った。

中国語大してできないのによく戦った、と誇らしい気持ちになっていた。同時に、外国で暮らすことってやっぱり覚悟が必要だと改めて思った。(しかし村ではそういういやな思いをまったくしない。)


投稿者: inoyo 投稿日時: 2009-5-29 20:24:00 (843 ヒット)

今も猛威を振るっている新型インフルエンザ。私が日本をたった5月末は、中国での感染はあまりまだ報告されていないころだった。なので、中国は水際での対策に躍起になっていた。

搭乗すると、体調に関する申請書が配布され、ここ最近の体調を書き込む。みんながみんな、きちんと報告しないだろうから、これだけじゃ意味ないなと思いながら、むしゃむしゃ機内食を食べたり、うとうとしたりして時間をすごしてた。

飛行機がそろそろ上海に着くころ、フライトアテンダントが乗客の検温を始めた。おでこにほんの一瞬、光を当てて計測する。中には何度か測りなおされている人もいて少しあせった。ここで感染者が発見されたら、調査どころではない。完全に隔離である。(それはそれでいい経験だけど。)

着陸してもしばらく機内で待機させられた。今度は何かと思っていたら、検疫官による検査があったのだ。検疫官が足りていないのか、小一時間、検疫官が来ず待たされた。

しばらくして全身保護服を着てゴーグルにマスク、という完全装備の人たちがやってきたのを見て焦る。フライトアテンダントが使用していたよりも性能のよさそうな体温計で次々に検温。

搭乗率は20%ほどだったので、それほど時間がかからなくてよかった。後ろのおじさんたちが、日本の国会で答弁した女性検疫官についてしきりにあーだこーだ言っていた。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2009-3-25 3:51:03 (1234 ヒット)

本日より、再び海南島に調査へ出かけます。6/20に一時帰国する予定ですが、そのあとまた戻り、調査の続きを行う予定です。合わせて半年ほど調査に出ることになります。

今回は比較的長い旅になるので、携帯は解約しました。番号もアドレスも変わってしまいます。滞在中はもちろんですが、帰国後でも、もし何かあれば私のPCアドレスまで連絡してください。なお、滞在するのは田舎の農家のおうちなので、インターネットを使用するのは、だいぶ不定期になります・・・。(1カ月に1回?)

◇  ◇  ◇

さて、朝5時半に家を出る予定なのにもかかわらず、まだスーツケースの荷造りすら終わっていません。海南島に行くのはいつもわくわくするのですが、日本を離れることの煩わしさといったら半端ありません・・・。

井上陽介


投稿者: inoyo 投稿日時: 2008-10-11 19:40:33 (1028 ヒット)

昨晩、3ヶ月にわたる海南島での生活を終えて、日本に帰国致しました。
海南島では、ネズミに肘をかじられたり、諸事情あって3ヶ月もいたのに調査地には26日間しかいれなかったり、毎食のように酒を飲まされフラフラになったりと調査の洗礼を受けました。というか、中国語わかんねー。

とはいえ、村人には可愛がってもらい、別れの涙まで流していただいたので、ラポールの構築という点では、今後につながる日々だったと思っています。

フィールドでの記録は追々、アップしていきます。以上、帰国報告でした。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2008-7-15 15:00:00 (1050 ヒット)

中国海南省五指山市においてフィールド調査を行うため、本日、日本をたちます。日本でも最近ゴルフリゾートなどとして知られるようになった中国の南方の島です。ハイナン島という表記もされます。もちろん(?)、私が滞在するのはリゾートとか全く関係のないド・田舎です。

滞在は約3ヶ月。高校時代の1年間(オーストラリア)、大学3年の6ヶ月(カメルーン)と比較すると、3ヶ月など長くともなんともありません。ホームシックになるまもなく、あっという間に過ぎるでしょう。ただ今回は、ある程度しっかりとした調査をしないと、私の人生に、暗い影を落とすことになりますから、そういう意味では、すこしばかり緊張しています。

ただ逆を言えば、それ以外に関して不安に思うことはありません。「異文化体験」をずっとやってきた成果かもしれません。そこらへんに関しての免疫ができているのです。異文化に晒されるチャンスを作ってきて本当に良かったと思います。

ことばなんか話せなくたってニコニコしていれば何とかなるし、夜暗くてすることがなければ寝ればいい。おなか壊したらトイレに行けばいいし、ぎゅうぎゅうのバスに詰め込まれても別に圧死するほどではなくて、そのあとにビールでも飲めばすぐに忘れる。結構、悩みって取るに足らない、と思います。なんとでもなるというか、なんというか。

もちろん「きちんと」生きようと思うと結構難しいんですけど、別にそんなことしなくていいわけで。「生きる」ことだけに忠実にいるというか、自分の五感を研ぎ澄ますことだけに集中する生活です。正直結構、ぞくぞくします。すごく楽しみです。一緒に調査に行く歴博の西谷さんと安室さんが「フィールド行く前に、気持ちが高ぶらなくなったらフィールドワーカーはおしまいだ」と酔っ払いながらおっしゃっていた、そのことばの重みを少しだけ噛み締めています。

とにもかくにも、これが私のフィールドワーカーとしての第一歩になることは確かです。次につながる良い一歩目をしっかりと踏んできたいと思います。


今のわたしが考えるフィールドワークに必要なモノ
▼フィールドワークの技術
・質問を聞き出す方法
・フィールド調査地に関する知識

▼基礎体力(外向き)
・現地の人とコミュニケーションをしっかりととる能力がもちろん重要でしょう。当然VerbalとNon-verbalの両方のことをさして言っています。
Verbalがどうしようもない今、私ができるのは、.縫灰縫海靴董↓現地の歌謡曲でも覚えて歌い、いろいろお手伝いをする、といったところでしょうか。必死に中国語を覚える姿をアピールするのも一策かも知れません。
・あとは、出されたものを全部食べる、全部飲むというのは結構重要な気がします。もちろん無理していただくのは良くありませんが、多少の無理ならばしたほうがいいでしょう。腹十二分目くらいまではがんばります。
・何でもねらい目は子どもです。子どもの笑いは基本的にハードル低いです。

▼基礎体力(内向き)
・「ピンチ」のときにくよくよしないことが結構重要な気がします。3ヶ月は短いとはいえ、それでも3ヶ月もあればつらいことや泣きたいこともでてくるでしょう。
オーストラリアに行ったとき、はじめの一ヶ月間、友達がほとんどできませんでした。だからお昼休み、サンドイッチをひとりで頬張らないとなりませんでした。じつに惨めな17歳。
そんな私の解決策は、頭の中にドラマの主題歌を流す、ということでした。そして自分がドラマの主人公なんだと思い込む(=自分の状況を第三者化する)のです。哀れな自分に酔う。バカみたいですが、結構いけます。後は寝て忘れる、とか。

くだらない。もっとまじめなことが書けるようになりたいものです。でも、とりあえずはこんなものかもしれません。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-12-15 18:17:00 (957 ヒット)

井上です。木曜日の夜おそくに日本に帰ってきました。あっという間の2週間半でした。

日本は、もっと寒いかと思っていましたが、思ったよりも寒くなく良かったです。ニューギニアで靴を捨ててきてしまったので、成田からの道中、ビーチサンダルだったのですが、風邪を引くこともなく、なんとか適応しはじめています。

さて、簡単なものですが、ニューギニアでの記録をアップし始めていますので、ご興味のあるかたはご覧ください。あと、お土産ですが、ニューギニアには何にもなかったので、何にもありません(笑) うそです、トランジットで寄ったオーストラリアのやっすいチョコレートがあるので、ほしい人は研究室まで食べにきてください。

ではでは。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-12-12 16:57:00 (703 ヒット)

12/11@GorokaからPort Moresbyへ。

▼Port Moresbyではお土産を購入し、伊勢エビを食べた。人類生態の留学生の親戚でタクシー運転手をしている人がしないのいろいろなところを案内してくれた。PNG Artというお店は手ごろな値段で仮面などを購入することができる。


12/12@Port MoresbyからCairnsへ。

▼ケアンズではレンタカーを借りて市内散策。アボリジニ居住区であるYarrabahを訪れる。途中で道に迷ったり、なんだか明らかに「切り取られて作られた」雰囲気があって恐る恐るたずねた。


12/13

▼Cairnsから日本へ。ひたすら長いフライト。ついた日本はさすがに寒かった。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-12-10 8:59:00 (841 ヒット)

12/8
▼朝起きて、町にくりだした。ホッチキスを買ったところでUPNGの学生たちとばったり会い、グエンの家でパーティをするから来ないかと誘われる。そこで、IMRのちかくにあるグエンの家まで出かけた。
▼IMR のほかのスタッフもたくさんいて、竹筒に野菜と肉をつめる、というマンブーやラバウルの伝統料理で、焼いた石をココナツスープの中に入れ料理するアイギルをいただいた。すごくおいしい料理。ラバウルにいた日本軍もアイギルを食べたんだろうか。食べたら彼らに対して銃を向けようとはしないだろう。
▼それを待っている間になぜだかすごく体調が悪くなり、あまりたくさんいただくことができなかった。すごく残念。もちろん、ある程度は食べたのだけど(笑)蓄積疲労か、もしくは脱水症状、熱中症とかかもしれない。
▼ 夕方家に帰ってからは本格的に悪寒がして死にそうになる。こういう時に限って、梅崎さんたちと別行動を選択してしまったので、一人で紅茶を飲んでから就寝。途中、ひたすらうなされた。変な夢を見た。なんだったかは忘れたけど、たしかひとりで厳しい戦いに行かないといけない感じだった。よほど疲れているとしか考えられない。

12/9
▼朝からずっと体調が悪く、死ぬかと思った。でも、死ななかった。仕事自体もうだいぶ減っていたこともあり、不幸中の幸い。
夜にかけてだいぶ身体は楽になった。

12/10
最終準備で、調査票の整理や日本へ持って帰る物品の整理などを行う。いつものことなのかもしれないけど、結局すごくバタバタしてしまう。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-12-7 9:01:00 (783 ヒット)

▼朝、かなり早く目が覚めた。昨日の夜、トイレに行かなかったし、朝、すごく寒かったからかもしれない。思い返してみると、誰かのステレオか何かから陽気な音楽が流れていたのも目が覚めた理由かも。目が覚めたついでにトイレに行き用を足した。
▼用を足して見あげた空は、半端ない夜空だった。プラネタリウムよりも多くの星があった。そしてずっと星を見ているとなんだか夜空に吸い込まれていくようで、不思議な感覚になった。その夢感覚に陥った俺を確かめるように、いくつかの流れ星が流れていった。
▼簡単な朝食をとってから、夏原さんたちはチェックインをしに空港へ移動していった。自分たちはIMRに行き、日本に先に持っていってもらうものを決め、空港へあわてて持っていく。ぎりぎりでチェックインして、ここでお別れ。
▼IMRに戻り、今日から宿泊できることになったIMRのトランジットハウスへ。お昼にアボカド、スパム、サバ缶などをつまみ、昼寝をしたりしながら、一日ゆっくりした。


▼Kotiufaに出るときに感じたこと。Kotiufaを出たときから、自分の記憶はそこで固定されてしまう。
▼ 俺が、オーストラリアから帰ってきてから、滞在中にサキソフォーンを教えてくれていたロビンは自殺してしまったし、初めて教室で話したアレックスはトラックとの交通事故で即死した。でも、それを俺が知ったのは、彼らがこの世での命を終えたずっと後のこと。自分の知らないで人が生き、そして死んでいくこと。なんだか不安になったりする。
▼カメルーンでだって、そうなっているかもしれないけど、思い出はそのままきれいであり続ける。セピア色になった写真を手に取り感慨深くなることはあっても、その写真の「いま」には向かい合うことは、正直意識的に避けている感もある。その自分の無責任さに向かい合わないといけないのは、重々承知なのだけども。
▼宇宙は巨大なアルバムだ。――ビートたけしの小説『少年』に所蔵されている「星の巣」の中にある一節だ。八・六光年はなれたシリウス。八年前に放たれた光が八年のときを経たいま、地球に届いていると兄弟で話すのだ。
▼無数にある星の中の一つ一つが、その光が放たれたその瞬間に自分が感じていたことを思い出させようとしているような気がした。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-12-6 9:02:00 (739 ヒット)

▼朝、寒くなって目が覚める。芋を食ってから、川を渡り、タバコ会社の跡地にあるヘルスセンターへ。そこにある屋根つきのバルコニーで準備開始。今日が大規模な調査の最終日だったのだが、一番いいコンディションで調査をやることに。
▼途中、ジェントレットの針がなくなりそうになって、マラリア検査用のLANSETを手配してもらうことに。結局は使用しないですんだんだけど、ちょっとドキリとした瞬間。

▼終わり次第、川を見に行く。途中の道がぬかるんでいて、にもかかわらずビーチサンダルで行ってしまって死んだ。行った先の川はそこそこきれいでそこそこ大きな川だった。泳ぐほどの時間もなく、単に、足だけ水に浸かって帰ってきた。

▼IMRにもどってから、唾液の遠心を行った。これで遠心するのも最後・・・。だんだんうまくなっていくもので、すごく早く終わった。

▼ 最終的なサンプル数は649だった。700くらい取れたら、なんていう目標もあったみたいだけど、実現可能性を考えたら、649で御の字だった。IMRのスタッフ、それから村の人たちの協力なしではなしえない数字だ。8月に前乗りで調査をしていたのも幸いしたのは間違いないだろう。

▼ 遠心が終わりひと段落してから、今回のスタッフへの慰労会。IMRの庭でBBQをした。途中、「ハマモト2号」さんのお誕生日だったので、そのバースデイケーキが振舞われた。そのデコレーションの文字の名前が間違っていて、スーパーに行って直したりと、バタバタしたけど、すごっく喜んでいて良かった。すっごく大きなケーキでバタークリームでびびったけど、それでもひさしぶりな感じが、すごくおいしかった。
▼ みんなでGroup Pictureをとったりした。最終的にIMRのスタッフとすごく仲良くなれて、良かった。グエンとボレッタは"You have to come back to PNG."といい、そのあとすぐ間髪入れずに"with souveniers"とニコニコしながら言っていた。

▼再びKotiufaに戻って最後はアパとチキンの竹筒焼き(マンブー)をいただいた。相変わらずうまかった。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-12-4 17:01:00 (672 ヒット)

▼朝から豪華な食事を作ってくれた。なんでも朝の3時からやってくれたいたらしい。ありがたい。

▼ご飯を食べてからは、再び川を渡り、道に出て、IMRの車にピックアップしてもらい、サイトへ向かった。今日は人が少なめだった。

▼そのあとは、いつもと同様、IMRで作業をしたのだが、村を歩いたときについた泥をセンター内に運んで怒られた(らしい)。そりゃ、怒られるわな。そーりー。たらんぶー。

▼ 村に着くとムームーを用意してくれていて、それをいただいた。豚は社会の交換財としての価値があるので、めったなことでは殺さない。だから、本当に貴重な食べ物で、日本で食べる豚とはまったく意味合いが違う。夏原さん的に言えば、塩をつけてたべたら「爆発的にうま」かった。

▼ 散歩をして、焚き火を囲んでみなで少し話す。みんな名前が変わった。俺の名前はヤドカウェになった。どこかの山の名前らしい。きちんと名前が変わったことを日本で言えとみなニコニコしながら行っていた。ピジンでいろいろ聞かれたが、このごろは、だいぶよくわかるようになってきた。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-12-3 17:02:00 (667 ヒット)

▼今日は30度を越えてとても暑かった。日本から購入していったターフがなければ、本当に干上がっていた気がする。とはいえ、屋内に入ってしまえば、風は涼しく、十分昼寝をすることが出来るのは、この国のありがたいところだ。

▼7,8メートルにも育っているポインセチアの木から、赤ちゃんが布にくるまれてぶら下がれていて、すやすや眠っていた。ビルムに入れることもあるらしい。

▼ 日本では通りに酸素マスクがあるのかと、IMRのスタッフに聞かれた。PNGの雑誌にそういう風に書いてあった、とのこと。ステレオタイプとはまさにこのこと。日本からPNGへのステレオタイプがあるのと同様、PNGから日本へのステレオタイプもあるのは、ある意味当然なのかもしれない。

▼IMR にいって作業した後、食材を勝手から、Sapsapへ戻った。車がなかなか来なくてつくのが6時ちょっと前。暗くなる前につけたのはよかったとしても、集落までの道がどろどろで、しかも、越えないといけない川は増水していて、ひざ下まで浸かりながら...といのちの危機を(ほんの少しだけ)感じながら、村に向かった。

▼新しく作ってくれた家にとまり、大量の夕食を食べさせてもらった。

▼この村では、地面の中に動物を丸ごと入れて火をたいて調理する、ムームーの際に、豚を取り分けられる人が限られていて、その人はリスペクトされているということだ。

▼女の子が火をまたぐというのはご法度だから、遊んでいる途中とかにでも、ムームーの場所をまたがないように、ムームーをする場所には植え込みがしてあった。効果が確実な工夫だ。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-12-2 17:03:00 (673 ヒット)

▼今日は、IMRで簡単な作業をするだけの予定だったので、朝9時に行動開始となった。いつもよりも3時間も遅いスタートなので、ゆっくり朝食をとったり、話をしたりした。イアンの息子で、1歳半のセドリックはすっかりなついてくれて、かわいいことこの上ない。

▼Papa Sallyとイアンはいろいろな話をしてくれた。タケノコの種類とか、経血に対するケガレ意識とか。

▼ そういった意識があるがために、ムームーをする場所を女がまたぐことは禁忌だし、男の子が誕生する際に血まみれになることも忌み嫌われることだという。というのも、血まみれになることでパワーが失われると信じられているらしく、そのパワーを失わせる血を出すべく、戦争のときは、木の枝を口から胃に突っ込み、血を吐き出すらしい。想像しただけで胃が痛い。

▼マリファナはすっても持ってても刑期は6ヶ月。マリファナを売り武器を買う人がいて、治安が悪くなっているという。韓国人、マリファナと武器を交換するためにラバウルにいる、というのが彼らの説だ。

▼IMR では遠心と記録の確認。結構時間がかかり、オフという感じではなくなる。途中、Sapsapという明日から行く村へ挨拶するのについていく。とてもよさそうで、いかにも「ウルルン」っぽい村だった。なんといっても、集落のひとつに行くのに、川をわたって越えないといけないのがウルルンだ。

▼昔はRothmanというタバコの会社があった村だったが、今は撤退してしまい、もぬけの殻となった工場の建物だけが残っている。

▼夜は、中国鍋をみなで自炊した。とてもおいしかった。(→その後、日本でも作ってみた。なんかあんまりたいしたことなかった。鶏肉のうまさが違うからか。はたまた2人分だったのがよくなかったのか。)夏原さんが強引に野菜を入れまくっていて爆笑。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-12-1 17:04:00 (612 ヒット)

▼さすがに少しネタ切れ。基本的にやっていることが同じだからか。もう少しゆっくりと時間があれば、いろいろと「発見」することもあるのだろうけど、いかんせん、朝早くにおきて、ひたすらアセチルコリンエステラーゼの計測をして、帰ってきて、唾液の遠心をして、夕方で、村に帰って、子どもたちに遊ばれ、気がついたらもう夕方で暗くなり始め、ご飯を食べているうちに夜になり、眠くなり、寝る――という生活では仕方ないのかも。それにしても、もう少し斜めに観察しないと。

▼お昼、仕事終わりに、ご飯を買いに言った。日本で言うところのフードコートのようなところ。ご飯モノから揚げ物まであって、日本と違うのは、カウンターが柵で仕切られていること。やはり物騒なのだろう。味はなかなかだった。

▼斑についてから、ひげをそりさっぱりした。サダムが下までついてきていろいろ話す。途中の会話で、ニューギニアでも女を作れといわれた。お前に一人やるという12歳はいったい何なのだろうか。爆笑した。

▼そのあと、サダムたちとビー玉遊びをして、腕相撲をして、カラテゴッコをした。子どもたちのタックルしてくる力は半端なく強かった。

▼PNGのソマレ首相の話を夕食後に聞く。汚職があるという人もいるようだ。街中に、Stop Corruptionという看板があった。

▼イアンというPapa Sallyの義理の息子と話した。とても英語がきれいで、PNGに4つしかない、National High Schoolに行っていたらしい。結局、先生たちともめて、退学したらしいのだが、賢さが話の節々に現れる男だった。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-11-30 17:05:00 (654 ヒット)

▼ゲストハウスでビスケットと紅茶で腹ごしらえをし、今日の調査地であるMassyへ向かう。このあたりでは一番初めに学校yが出来た地域で、しかも全体的に裕福な地域であるという。事実、建物はしっかりとしていて、いわゆる「窓」、つまり、窓枠があり、ガラスの窓が入っている窓がついているという家が多かった。

▼始まってからしばらくは、我々が設営したテントの周りに人が集まって様子を伺う感じで、変な「間」があった。気がついた次の瞬間には、とてつもないペースで人が来た。昨日に比べて、人はきちんと並ぶし、しずかにしているし、お菓子暮れとか、絆創膏をくれとか、言ってこない。「お行儀がよい」という言葉、そのもののようで、Kotiufaとのあまりにも対照的な様子は、なんだか不思議な感じだった。もし仮に、これが教育の効果であるとすれば、それはすごいことだと思った。村民性はどのように形成されるのだろうか・・・。

▼お昼はBird of Paradise Hotelでハンバーガーを食べた。いわゆる「西洋人向け」のホテルで、概観が田舎の合宿所のような体であるにも関わらず、中に入ると、洒落たインテリアで少しびっくりした。ハンバーガーは普通においしいものだった。Bird of Paradise Hotelは、Goroka周辺では唯一のおしゃれなホテルである。

▼IMRで唾液のチューブを遠心にかけ、小さな容器に移動させるという作業を行った。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-11-29 17:06:00 (599 ヒット)

▼今朝は、先日購入した毛布を使用して寝たためか、起き上がるまで、寒さをほとんど感じることなく寝ることができた。起き上がって、アボカドとパン、それからシュガーフルーツを朝食として食べた。アボカドはやはりうまい。文句なしにうまい。日本のアボカドは、日本へ輸送される時間を考えて早めに詰まれるのに対し、アボカドの産地のアボカドは、もぎたてなので、ぎりぎりまで熟したおいしさがある。ニューギニアもカメルーンもアボカドは本当においしい。

▼今日も同様に、調査をさせてもらった。今日は結構午前中から忙しくて、あっという間に目標数を達成した。(この村でサンプル200が目標数だった。)みんな本当に協力的でありがたい。自分たちが住民で、海外から調査チームが来て・・・というシチュエーションを考えると尚更一層ありがたい。

▼PNGには昔からたくさんの人類学者がいたんだけど、ニューギニアの人々と生活をしていると、その理由の一端を見た気がした。協力的でなければ何も全く始まらないからだ。彼らの懐の深さのようなものを本当に感じた。

▼写真を撮ったり、ベテルナッツというナッツの一種を食べたり・・・と調査がひと段落してゆっくりしていたら、この前、自分の股間を触ってきた男が、毛糸で作ったバックである「ビルム」をくれた。俺とお前は友達だ、だそうだ。きれいな色でよかった。

▼お昼はやはり、Papa Sallyの家でいただいた。芋が三種類もあった。どれも色も味も食感も違うが、やはり芋であった。内藤君が胸を詰まらせていた。

▼IMR に戻っていく車で荷台に乗って移動した。にもかかわらず、ドライバーはびゅんびゅん飛ばすので、正直死ぬかと思った。実はそれまでの間の移動では、俺たちはいつも中に乗って、IMRのスタッフやUPNGの学生は荷台に乗っていた。車に関しての経費は今回のプロジェクトで負担しているし、彼らは荷台に乗ることになれている一方で、俺たちはなれていないということもあるから、彼らだけが荷台に乗ることを正当化することはできるのだろうけど、なんだか、むずかゆかった。いつもご飯が運ばれてきて、俺たちは食べるだけ、と言うのと同様、当たり前にならないようにしないといけないな、と感じながら受けた風だった。

▼IMRでは明日までに必要な物品をみなで確認して、終わり次第に日本に一通だけメールした。

▼ 今日の宿泊はゲストハウスで、そこでみなで自炊した。メニューはハンバーグにチキンカレースープとご飯と炒め物。スープには、ハマモトさんが村でもらってきていたイチゴが傷んでいてそのまま食べるのには適さないと勝手に判断して、こっそりすべて入れておいた。最後まで気がついていなかった。今回初対面同士のメンバーもだいぶ互いに打ち解けてきた感じ。みなが働き者なのが、非常にイイコトだと思う。

▼夏原さんいわく、ワサビとアルコールの食べ合わせはダメらしい。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-11-27 17:08:00 (622 ヒット)

▼夏原さんの調査地。

▼寝ぼけ眼の午前6時に家を出て、悪路を揺られ、IMRへ。そこでまずは簡単な準備。準備が終わり次第、村へ向かって移動したんだけれども、そこまでの道はきちんと舗装された道で、快適そのもの。



▼ 基本的にはカメルーンと同じものをすごく感じる。気候もそうだけど、食べているものとか、人々の様子。マギーがあるのも同じ(笑)それにしても、どうしてどこの国にもMaggyがあるのだろう。コカコーラよりも浸透している気がする。トヨタもさすがにMaggyにはかなわないだろう。



Stuffed Rice

▼ アセチルコリンエステラーゼの機械は当初扱いにばたばたしたものの、血液を採取する担当のレベッカとの相性もよく、ペースをつかんでからは、早かった。お昼はPapa Sallyの家に行っていただいた。ご飯の上に、さば缶とか野菜とか炒めたものを乗っけたものをいただく。すごい量でおなかいっぱいに。

▼午後は人の数も少し落ち着いて、暇なときはウトウトしてしまった。混乱もせずあっという間に終了。終了しだい片づけをして撤収。途中で変な中年男に股間を触られた。何だったのだろうか。



▼今回の調査にはUPNGの医学部の学生が研修の一環として参加した。PNGのエリートにはギトギトした人が少なくないなんていう話も聞いたのだが、彼らは非常にスマートでさわやかだった。一人はケミストリーの川畑に似ていたので、こっそりケミストリーと呼んでいた。



▼夜は、ご飯とサバ缶という同じメニューにかぼちゃの葉やピットピット、アパなどの野菜をココナッツジュースで煮たものをいただいた。辛くはない上質なタイカレーのようで非常においしかった。ご飯自体は非常においしい。

▼AIDSに関して人々がどのように感じているのか話を聞いてみた。啓発はしているようだった。若者はケアレスだというのがPapa Sallyの弁。



▼虫に食われることを恐れながらマットレスをシェアして寝る。部屋がトタン屋根であるためか、すごく寒かったが、疲れもあってかすぐに眠りに落ちた。


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