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国際保健/開発:国際保健や開発に関して私なりの論を展開しています。
フィールドノートから:フィールドでの試行錯誤。
FYI:興味深いイベントを紹介!
ツレヅレ:書評、映画評、ツレヅレと。
投稿者: inoyo 投稿日時: 2008-4-25 16:41:36 (1059 ヒット)

今日の国際地域保健の授業のテーマは、ヘルスプロモーション。ラロンド報告からオタワ憲章、そして各地でのケースの紹介があった。その中に、小学校でのヘルスプロモーションの取り組みの紹介があって、そんな話を聞きながら、私が小学生のときのことをぼんやり思い出していた。

小学5年生のとき、美化委員会というよく分からない委員会に入ることになった。仕事は確か二つあって、ひとつは壁新聞を階段脇の掲示板に貼ること、もうひとつが週に一回、掃除が終わるころに下級生の教室に行って、きちんと掃除しているかどうかチェックする、というものだった。そしてひとことコメントを黒板に書くことが仕事だった。

確か2年3組だったようにおもう。今とかわらず調子の良い私は、ひたすら二年生をほめまくった。まぁ、別にけなしてもしょうがないから、ひたすらほめまくった。そしたら、彼らはすごく喜んでくれてしまって、毎週私が来る曜日にはすごく張り切って掃除をしているとそのクラスの受け持ちの先生に言われた。

国際保健にはきちんとした理論があって、その理論に基づいてきちんとした戦略を練っている。もちろん、そういうことも大切なのは言うまでもないが、原点は、実は結構単純なところにあるのかもしれない。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-11-24 17:34:00 (772 ヒット)

33歳男性が犬と結婚!「のろい」解くためインドで動物婚
2007年11月14日08時15分
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20071114-OHT1T00052.htm

 13日付の地元紙「ヒンドスタン・タイムス」によると、インド人のセルバクマールさん(33)が、このほど10歳の雌犬「セルビ」とインド南部のヒンズー教寺院で結婚式を挙げた。

 このセルバクマールさんは、18歳の時に交尾中の犬2匹を撲殺し、木につるしたという。しかしその後、セルバクマールさんの体に異変が続出。脳卒中で腕や足は動かなくなり、片耳も聞こえなくなった。「最近受けた治療でやっと松葉づえを使って移動ができるようになった」。

 「犬を殺したたたりなのだろうか…」。そう考えたセルバクマールさんは、すがるような思いで占い師に相談。「犬ののろいを解くには、雌犬と結婚すべし」と仰天のお告げをもらった。急きょ親せき一同に“お相手”となる犬を見つけてくるよう大号令。ふさわしい?野良犬を発見すると、風呂に入れ、伝統衣装サリーを身につけさせた。

 結婚式はヒンズー教の儀式にのっとって無事行われ、セルバクマールさんは「死が分かつまで面倒を見ます」と永遠の愛を誓った。雌犬は式の最中にパンを食べていたという。

 インドでは2000年7月に4歳の幼女が犬と結婚している。今回同様に数々の不幸があり、占い師から「犬との結婚」を勧められたという。インドでの“動物婚”はしばしば報告されており、最近ではヘビと結婚した幼女もいたとか。動物と結婚しても、人間と結婚することも自由で、動物との離婚手続きは特に必要ないらしい。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-11-14 17:32:00 (593 ヒット)

2007年11月12日、河南省鄭州市で、全国農村人口一人っ子政策実施会議が開催された。席上、国家人口一人っ子政策委員会の張維慶(チャン・ウェイチン)主任は農村部で人口出生性別比の不均衡が極めて高い水準を保っていることを明かした。

通常、新生児の性別比は女児100人に対し、男児103から107人と言われている。しかし、中国の全国平均は119.58人を大きくその値を超えている。農村に限定した場合は122.8人とその数値はさらに高まる。この傾向は1980年代より継続しており、20歳から45歳までの男性数は女性より1800万人も多い。この数は2020年には3000万人を超えると見られている。

性別比の不均衡は農村を中心に男児を好む伝統が強く残っていることに由来する。中国政府は、男児を重んじる旧来の風習を変える啓蒙活動、出産前性別診断の禁止など対策を打ち出している。(翻訳・編集/KT)

http://www.recordchina.co.jp/group/g12812.html


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-11-7 17:30:00 (869 ヒット)

インターネットサーフィンをしていて気になるヘッドラインがあった。

妻HIV感染 夫が離婚要求「セックスない結婚は呪い」

妻のHIV感染が判明し夫が逃げていく、と言うケースを耳にするケースはよくあるが、夫が「きちんと」離婚を求め、さらに読み進めていくと、裁判所が離婚を認めたという。これは、今まで聴いたことがなかった。

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 ニューデリーの婚姻裁判所は1日、妻がエイズウイルス(HIV)に感染しているとして、離婚を求めた夫の訴えを「セックスのない結婚は呪いだ」として認める判決を出した。2日付のインド各紙が伝えた。
 裁判所は理由を「HIVは性感染するため、夫は幸福な結婚生活を送れなかった。セックスは結婚に不可欠の一部だ」とも説明した。
 インドには、国別で世界で3番目に多い推定250万人のHIV感染者がいる。判決に感染者支援の活動家から「一般社会のHIV感染者への認識にマイナスの影響が出る」「妻にも家庭生活を送る権利がある」などと批判が出ている。
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2007年11月02日22時13分
http://www.asahi.com/international/update/1104/TKY200711040111.html
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気になったポイントは3点ある。
・「呪い」とはいったい何か
・「セックスは結婚に不可欠の一部だ」
・批判が出ていること


「呪い」とはいったい何か
「のろいだなんて、インドの人は遅れてるなぁ・・・」とかお馬鹿なことが言いたいわけでは当然なく、この呪いというものが彼らにとってどういった事象を指すものなのか、非常に興味がある。というのも、私の修士のテーマの候補のひとつとして、Papua New Guineaに暮らす人々の疾病観、特にエイズに関するそれを探り、PNGのエイズ対策に反映させる、というものがあり、彼らもまた「呪い」を持つ文化であるためだ。(11月後半より結局行くことになりました。VISAがおりた^^)
先進国と彼らと暮らしてきた文化が違うのであるから、世界観、疾病観は当然違ってくる。違うから対策は難しいのだが、その違いを理解することができるようになれば、逆にそこをターゲットにすることも可能になってくる。

「セックスは結婚に不可欠の一部だ」
というフレーズに、不思議な聞こえはそんなにはない。もちろん夫婦の性がどうあるべきか、ということは夫婦の間だけで決めればいいことであるが、夫婦生活の根幹をなすことのうちの一つであることは間違いがないし、セックスが結婚に不可欠の一部かどうかで意見が食い違って、離婚に至るというケースがあってもそんなに不思議ではない。それにもかかわらず、

批判が出ていること
を私たちはどう理解すればいいのだろうか。今回、批判しているのは、「感染者支援の活動家」と出ているのだが、この人はいったい誰なのだろうか。途上国の人だろうか。HIV-positiveの人だろうか。
確かに今回の判決により、「一般社会のHIV感染者への認識にマイナスの影響が出る」のは避けられそうにもない。ほかにも同様のケースで離婚が増えるだろう。「妻にも家庭生活を送る権利がある」という主張もまた当然のように受け入れられる。ドラマ仕立てのストーリーであれば、妻が泣きながら告白すると夫がやさしく妻を包んで君に寄り添っていくよ・・・となるといいのだろうが、しかし、だからといって、妻のHIV感染を理由に離婚する男の決意を頭ごなしに否定するのはいかがなものだろうか。
そこに暮らす人がいて、それから初めてHIVに対しての活動が可能になる。HIV活動にあわせて人々は生きているわけではない。「活動家たち」の批判は本末転倒にすら聞こえるし、もし、彼らが先進国の人だったり、特権階級の人々だったりしたら、これは同時に非常にパターナリズムに満ち溢れていることになる。HIVとともに暮らすコミュニティを管理の対象としてみているのではないかと疑えてしまうのである。

日本で2000年に総務省によって「エイズに関する世論調査」が実施されており、そのなかに、配偶者がHIVに感染した場合の対応に関する質問があった。

「従来と同様の生活をする」と答えた者の割合が54.9%と最も高いものの、離婚を選択するものも少数ながら存在する。日本でこのまま離婚が成立するかどうかは別の話だが、とはいっても、離婚を希望するものはまちがいなくいるわけで、そうなると、すぐに離婚は認められなかったとしても、おそらく夫婦関係の破綻が生じ→離婚事由となるだろう。それと同じことが途上国には認められない、批判の対象になるというのは少しおかしな話ではないだろうか。

先進国に認められることは途上国にも認められるべきである。先進国に暮らしていると、彼らのことを「上から目線」で何かと見てしまいがちだが、忘れることなかれ、途上国は先進国の管理対象ではないのだ。


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▼今回の議論では、完全にコンドームが抜け落ちていた。果たしてコンドームをつけてのセックスが「呪い」になるかならないかの議論はあったのだろうか。
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▼裁判での離婚/民法
第770条(離婚原因)
夫婦の一方は、次の場合に限り、離婚の訴えを提起することができる。
 1 配偶者に不貞な行為があったとき。
 2 配偶者から悪意で遺棄されたとき。
 3 配偶者の生死が3年以上明らかでないとき。
 4 配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込みがないとき。
 5 その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。
◆〆枷十蠅蓮∩姐狢茖厩罎ら第4号までに掲げる事由がある場合であっても、一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認めるときは、離婚の請求を棄却することができる。
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▼インドのHIV/AIDSの状況
【Global Fund】
http://www.investinginourfuture.org/india/(英語)
http://www.jcie.or.jp/fgfj/03/03-2/india/(日本語)
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投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-10-10 17:06:00 (657 ヒット)

国際協力の分野でそれなりにシンポジウムなどに出席していると、しばしば“「途上国」であった日本の経験を活かそう”という言葉がきかれる。一時は焼け野原となった日本が、目覚しい発達と復興を遂げたその経験を活かして、現在の途上国支援、国際協力に活かそうというのが彼らの主張である。彼らによると、当時の日本の経済状況、社会開発状況はいわゆる途上国にふさわしい状態にあったとされる。(具体的にどのような数字を示して、彼らが発言しているのか、はっきりしない部分もあるが、仮に途上国であったとして、)果たしてここまで発展してきた「経験」を本当に活かすことができるのだろうか。
今回学会に参加して国際保健医療の現場でも同じような「現象」が見られた。正直、不安に感じる部分が少なからずあったので、メモしておきたい。

▼疑問その 「初期条件」の違い
GDP や乳児死亡率(Infant Mortality Rate:IMR)、妊産婦死亡率(Maternal Mortality Rate:MMR)などの指標を見れば、おそらく現在の途上国と同じ水準だとしても、なかなか数字に表れない部分、教育水準(識字率のような分かりやすいものではなく。)、女性の地位、健康に対する価値の置き方、特に他の諸問題との相対的な位置づけにおいて、日本が特殊だったという可能性は否定できない。
これを言っちゃ、おしまいよ、という話なのが、国民性。国際協力においてはタブーワードなのだと思うけど、なんやかんやで大きな影響を与えているような気がする。
全体的に雲をつかむ話のようだが、野村克也の言うような「無形の力」が日本人には備わっている可能性がある。

▼疑問その◆Ю功事例だけ見ていて果たして本当に教訓は得られるのだろうか。
今回の学会の発表では、戦後のGHQが導入した公衆衛生活動をささえた、生活改良普及員や保健婦の活動事例があげられ、それを現在の国際協力のコンテクストの中で再評価しようとしているものであった。私が感じた問題点は、成功事例のみを事例として扱い、それをモデルとして拡大しようとしていた点である。うまくいかなかったケースに関して何の言及もなされていなかった。

そこで、(空気を読まずに笑、)うまくいかなかったケースの有無について、会場で質問した。
そして驚いたことは二つ。
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1)最初に回答したコメンテータがうまくいかなかったケースについて把握していなかったこと。
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2)私がさらに突っ込んで質問した際に回答したコメンテータは、うまくいかない場合の存在はあったものの、それは、サービスの受け手=住民の問題であると回答したこと。さらに、座長がそれに同調したうえで、「住民がやりたいといった場合だけ行政サイドが対応してきた」、と回答したこと。(そして、国際協力の場でもそれを踏襲しようとしていること。)
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1)に関しては、予想の範囲内であったが、2)はあまりにも乱暴な議論であり、びっくりしてしまった。うまくいったときは行政がきちんとしていたから、うまくいかなかったときはきちんと住民側の意識が高まっていなかったから、といわんばかりであった。
つまり、私が言いたいことはこういうことである。うまくいかなかった理由が住民側にあるのであれば、うまくいったケースも住民側に因ることがあるのかもしれないし、同じように、うまくいったケースがサービスの提供側にあるのだとすれば、うまくいかなかった場合も、サービスの提供側にある可能性がある、ということである。にもかかわらず、この議論の中では、そういった一連の可能性は、一切無視である。

▼うまくいかないケース
うまくいかなかった場合、原因として、以下の3つの場合わけが今回は考えられるだろう。
1)サービスの提供側にある場合
2)住民の受け手側になる場合
3)両者のマッチングがうまくいかなかった場合
しかし、2)だけ考え、他のケースを彼らは想定していなかった。もちろん、限られた時間の中で、「なんとなく」の結論を出さないといけない状況で答えたのかもしれないが、仮にもたくさんの書籍を出し、そこそこ売れている研究者の割には、ずいぶんと雑な議論ではないかと感じた。

◇  ◇  ◇


成功事例はあくまでも偶然の産物に過ぎない可能性がある。「特殊」な状況である過去の栄光にしがみついていないで、うまくいかなかった部分も含めてこれからどのような対策をしないといけないか、考察しないといけないのではないだろうか。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-8-31 17:29:00 (600 ヒット)

BBCニュースにショッキングなニュースがあった。タイトルの通り、HIV-positiveの人を生き埋めにしているという。PNGとは、Papua New Guineaのこと。調査で、10月に行くこともあって、よりビックリした。

HIVへの偏見は、その感染経路の特殊性や、人々に認識され始めた当初の理解不足などによって、以前から色々なケースが報告されている。今回のケースのように殺されてしまうことや、村から追い出されてしまうケースなどさまざまである。

Some people with HIV/Aids in Papua New Guinea are being buried alive by their relatives, a health worker says. Margaret Marabe said families were taking the extreme action because they could no longer look after sufferers or feared catching the disease themselves.
面倒を見切れないというのは、金銭的にという面と同時に、精神的な面でもいえることだ。感染メカニズムが分からないければ、それは、どんな病気であっても恐ろしいだろう。

Ms Marabe said she saw the "live burials" with her own eyes during a five-month trip to PNG's remote Southern Highlands. PNG is in the grip of an HIV/Aids epidemic - the worst in the region. Officials estimate that 2% of the six million population are infected, but campaigners believe the figure is much higher. HIV diagnoses have been rising by around 30% each year since 1997, according to a UN Aids report.
感染爆発前夜などという言い方をすることがあるが、まさにそのケースだろう。PNGのHIVの状況に関しては、フジテレビの佐々木恭子アナによる取材(同局「とくダネ!」 2007年5月28日・29日放送)でご覧になった方もたくさんいるかもしれないが、確実に感染は広がっている。あの時点で、病院には、きちんとした運営ができないほど多くのHIV感染者が入院していた。

Margaret Marabe, a known local activist in PNG, carried out an awareness campaign in the Tari area of the Southern Highlands earlier this year. "I saw three people with my own eyes. When they got very sick and people could not look after them, they buried them," she told reporters.

She described how one person called out "mama, mama" as the soil was being shovelled over their head. Villagers told her that such action was common, she said.
泣き叫ぶ感染者を村人たちが生き埋めにするとき、村人たちの思いはいったい何なのであろうか。今までも、このような「流行り病」があるときには、そうやって対処してきたのだろうか。それが、彼らをここまで生かしてきた文化的な適応の一形態なのであろうか。

一刻も早い対策が望まれる。


http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6965412.stm


補足:実際に生き埋めにしているかどうかは研究者の中でも懐疑的なヒトもいるとのこと。というのも、主張しているのがMargaret Marabeだけだからだ。きちんと立証されているわけではないのだ。(9/12)


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-1-19 13:52:00 (1092 ヒット)

以前にも書いたナイロビの蜂に関しての評ですが、内容を少し変えて、アフリカ日本協議会の雑誌、アフリカNowに掲載されました。
ご興味がありましたら、読んでみてください。
ちなみに、アフリカNowは一部500円で販売しています。内容は政治情勢からHIV/AIDSの問題、さらには文化にいたるまで盛りだくさんです。お求め方法に関しては、アフリカ日本協議会にお問い合わせください。

■彼女のいる「庭」へ■


舞台は、ケニア、ナイロビ。当地の英国高等弁務官事務所に勤めるジャスティン・クエイル(レイフ・ファインズ)は、庭いじりの好きな、もの静かな外交官であった。性格が真反対の妻、テッサ(レイチェル・ワイズ)とは、価値観やライフスタイルの相違によるすれ違いがありながらも、日々幸せな生活を送っていた。
ところが、そのジャスティンは妻の訃報を聞くことになる。北部のロキへ調査に出かけた彼女が、トゥルカナ湖の湖畔にて変わり果てた姿で発見されたのだ。

妻の死後、遺品を整理する中で、妻の死に疑問を持つようになったジャスティンは、ひとりで彼女の死の理由を調べ始め、事件の背後に、巨大製薬会社、さらには英国本国の利権が絡んでいることを次第に明らかにしていく。妻への想いをただひたすらに、そして、「彼女のいる場所」へ導かれるように、男はすすんでいく。真相の全てを光の下に曝した彼がたどり着いたのは、そう、彼女が果てたトゥルカナ湖。


◇  ◇  ◇



ナイロビの蜂(原題:The Constant Gardener)は、スパイ小説の第一人者、ジョン・ル・カレの同名の小説を、映画化したものである。

この映画が、夫婦の間の普遍の愛や、援助国と被援助国の間に存在する「どうしても超えられない壁」を描き出そうとしているのはよく分かるし、一定の評価はできる。アフリカの光景も何だか懐かしかった。しかし、この作品のファンや、特に思い入れがある方には大変申し訳ないが、映画として、完成度が高い、と思うものでは全くなかった。

というのも、いくらなんでも物語が淡々とすすみすぎるという印象を持ったからだ。ジャスティンが彼女の死の背後にある陰謀を調べていく間が特にそうであった。どこかに行けば、彼は望んでいることを成し遂げるし、誰かに会えば、知りたいことが分かってしまう。映画自体に緊張感だとかメリハリというものはあんまり感じられなかった。さらに、物語の根幹である二人の愛の始まりに関しても描写が乱暴で、活動的なテッサがそもそもなぜうだつの上がらないジャスティンのことを好きになったのかよく分からなかった。(作品の途中まで、アフリカに自腹を切らず渡航するためにテッサはジャスティンと結婚したものだと思っていた。)


一番気になったのは、『ナイロビの蜂』というタイトルである。ジョン・ル・カレが"The Constant Gardener"というタイトルにこめた想いをあまりにも無視しすぎているような気がするのだ。

おそらく"The Constant Gardener"は、ジャスティンの性格、「何かに細心の注意を払って世話をする」とか、もっと言ってしまえば「周囲の動きに無頓着になりやすい」といった性格を端的に表した言葉であって、この映画の中心にジャスティンをすえる重要なキーワードだ。レイチェル・ワイズ演じる妻のテッサがかわいすぎるものいけないのかもしれないが、『ナイロビの蜂』という、興行的に「分かりやすい」タイトルをつけてしまったがために、主人公であるジャスティンがぼやけてしまっている。私が気持ちをジャスティンにダブらせることがなかなか上手くいかなかったのは、その辺も影響しているのかもしれない。

Gardenという言葉も今から考えてみると、「つくられた」平和をシンボライズするものだったのかもしれない。「庭」には、外界から隔離されているが故の「平和」があって、たとえばこれは、殺虫剤の使用によって、つまり多くの犠牲の上で、作り出されたものであったりするのだけれども、(作品中、ジャスティンは殺虫剤の使用をテッサに激しく非難されている。)こういった「閉鎖」しているがために「平和」である「庭」が、彼女の死の理由を探していく旅の中で、彼女の愛や想い、そして外の世界での「現実」に触れ、次第に彼女が見ていた「庭」へと広がって行った――う〜ん、これを映画館で気がつきたかった。


◇  ◇  ◇


「あり続けること」の美しさ、尊さ、「向かいあうこと」の大切さ。もう一度、この作品を見ると違う感想を得るかもしれない。11月10日には早速、DVDが発売になるとのこと。購入はしないだろうが、"The Constant Gardener"としてもう一度見るためにも、レンタルショップにいきたいと思う。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2007-1-19 13:49:00 (952 ヒット)

ナイロビの蜂という映画を見に行った。

公開は5月で、ずっと前から見てみたいなと思ってはいたものの、結局見ることができずにいた。ところが昨日、映画を見に行かないか、ということになり、ふとナイロビの蜂について思い出し検索してみると、「下高井戸シネマ」でやっているとのこと。交通アクセスはいまいちなのだが、せっかくなので、小学生のころに祖母につれられ、「マジカルたるるーと君」の映画を見た懐かしの下高井戸シネマを訪れた。

映画の感想としては、正直いまいち、かな。ストーリーも比較的見え見えだったし、現代社会が抱える「アフリカ問題」を表現するという点では、ずっと前に見たホテル・ルワンダの方が上手く伝えていた。結局、どうやっても援助側と被援助側に厚い壁があるということ。

ただ描かれていたものを見て、アフリカっぽいな〜と感じたり、これカメルーンにもあった!とか、ありそう、ありそう、みたいな光景が多数含まれていたので、変なノスタルジーに浸りながらこの映画の筋を追っていた。

気がついたらもう一年経ってるんだもんね・・・。

                    + + + + + + + +

もし、この地球上に日本しかなかったら、
豊かな「先進途上県」と貧しい「発展途上県」に分かれていたと思う。
それでも、この世界で、格差はありつつも、一応、日本という国になって、
大体おんなじ水準にあるのは、それは日本がひとつだからだ。
外国諸国に対して、日本がひとつだからだ。
富める県が貧しき県を引っ張っていってるからである。

そりゃ確かに同じ言葉はなすし、
そりゃ確かに同じような顔をしている。
日本を「ひとつ」に感じやすいかもしれない。
世界を「ひとつ」に感じるよりかは。

でも、
これだけたくさんのニュースが流れて、
これだけたくさんのイメージを与えられたら、
世界だって「ひとつ」感じたっていいじゃないか。

「ひとつ」にならなきゃ、貧困なんてなくならない。


追記(9/19)
作品中に「オックスファムに電話して」というせりふがあり、改めてオックスファムのイギリス社会における認知度の高さを認識しました。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2006-10-6 22:40:00 (928 ヒット)

今週からUNICEFの国際協力講座が始まった。この講座は毎週火曜日、品川のユニセフハウスで行なわれる一般市民に対するレクチャーで、国際協力をテーマに様々な人がオムニバス形式で授業を行なう無料のシリーズだ。

今週、第一回目の講師は、「世界で一番命の短い国から」の著者で知られる、医師でフォトジャーナリストの山本敏晴氏である。実は、山本さんの講演を聴きたいと思い情報を探していた最中にこの講座自体を見つけたので、ある意味、私にとってはメインイベンターであった。

内容といえば、そんなに変わったことがあったわけではないが、現実を体験した者しか語りえない「事実」、またその「事実」に裏打ちされた考え方は比較的共感できるものであって、今回参加してよかったなと思った。

山本氏はその話の中で、
○自己満足に陥りがちな国際協力を「本当に意味のあるもの」にしたい。(実際に、どうかは別として。)
○人口増加、資源の有限性から来る、成長の限界が迫ってきており、地球上に住むすべてが持続可能性を意識した生活をするべき。
○医療の問題ですら、政治、経済、環境、教育、公衆衛生などの観点など全てに横断している。(Not only途上国, but also先進国)
といった内容を指摘していた。

コカインを皮膚に擦り込まれて恐怖を感じなくなり、両親をも殺してしまう少年兵の存在や、
彼が「体の不自由な人作戦」といった地雷については、問題の重さを改めて実感した。殺傷能力を半端なものに調節している地雷は、人を殺してしまうわけではなく、体の不自由な人を作り出す。というのも彼らの世話をせざるを得なくなった社会のほうが、経済により大きなインパクトをうけることになるからだ。これは四肢切断などにも共通の理由で、世界中で見られる「作戦」だ。悪魔のささやきとしか思えない。

人口増加の問題も深刻だ。90億を支えるだけのエネルギーはないだろう。40年で枯渇するといわれている石油に代替するエネルギーは今のところない、としか言いようがない。

まぁ、エネルギーがなくなったらみんな農耕に戻ろうぜ。そのときに死ななくていいように、
自分の子どもには、孫には、ひ孫には、自然をマニュアルで改変できる力を養ってもらおう。



気になることをひとつ質問してみた。
---先進国に暮らすことを夢見る、途上国に暮らす人に「国際協力師」はどう向かい合えばいいのですか?

「そこは悩みどころだ」って彼もおっしゃっていた。中国が全員都市化したライフスタイルで生活しただけで、相当持続可能性は失われる、と。更に、何かしらが原因となって、人口が最終的に20億人程度に減るのではないかと、彼は続けた。彼の活動はその「『人類』最大の危機」を少しでも遅くするものである一方、その後の世界で同じ過ちを二度繰り返さないためにも行なっていると。

やっぱりそうなのかな・・・。


彼と同じくして、私も相当将来に、少なくとも現在のアプローチが描く将来に悲観的になっているが、でも、彼と違うのは、彼が、「宇宙船地球号」という表現で、全員が等しく「最後の審判」を受けると考えている節があるのに対し、私は、このままだと、先進国だけが「カルネアデスの板」につかまるのではないか、と考えている、いうことだ。

でも、もしそうなら、そんなの国際協力でも何でもない。「本当に意味のあること」ではない。
「国際協力」の名の下の偽善だ。偽善を認識しない偽善ほど、厄介なものはない。

もちろん現在の国際協力を否定するつもりはなくて、必要条件では絶対あるし、どちらがいいとか、悪いとか、そういう価値判断の元にさらされるものでは絶対ないんだけど、

でも、私は、「開き直り国際協力」がやりたい。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2006-9-9 22:43:00 (865 ヒット)

ずっと前に、Goriさんからすすめられていたネクスト・マーケット 「貧困層」を「顧客」に変える次世代ビジネス戦略(C.K.プラハラード スカイライト コンサルティング / 英治出版)をようやく購入し、読み始めた。

って、本当に読み始めたばっかりなので、この本に何が書かれているか、まだまだ分からない。ただ、ひとことで言えば、表紙に書いてあるがごとく、

「貧困層」を「顧客」に変える次世代ビジネス戦略


らしい。BOP(Bottom of Pyramid=既存の経済システムの底辺)市場の大きな可能性をこの本では語っている。

確かに、地球上人口が70億人に達しようとしている現在、途上国と呼ばれる地域に暮らす人の人口は、50億。その人たちを「上手い具合」に、市場活動に巻き込むことができたら、今までの未開の地でも経済は発展し、貧困を撲滅するひとつのきっかけになるかもしれない。(もちろん、お金のフローが上手い具合に彼らの生活に還流していくようにしないといけないのは、もちろんだろう。)


われわれが途上国に介入しないのはなぜか。

まぁ、いろいろあるんだろうけど、「途上国」というOne Wordでくくるあまり、理解が停止している部分も少なからずあるのだろう。そもそも、あれだけ世界各地に広がっている場所を「途上国」としか、われわれは言及しないのは、思考停止といってしまってもなんの差し支えも無いかもしれない。

途上国にだって、車は走っているし、携帯電話を持っている人はたくさんいる。いい製品を買う余裕が無い、というのは一部の真実だけど、それは本当に一部で、他には、いい製品を購入する意欲に満ち溢れている人口がたくさんいる。現に、カメルーンで見たおかしな現象は、お金がなくておなかがすいたといっている人が、携帯電話を持っているということだ。他人が、その人の生活の中で何にプライオリティをおくのか、ということは、すぐには分からない。



本の内容からは少しずれるが、貧困層にアプローチするということでよく考えてみると、貧困層にはたくさんの人材がいることに気がついた。日本の1学年の人口は約120〜150万人。仮に、理科稽爐砲い韻訖佑髻嵳ソ─廚世函¬詰やり仮定すれば(笑)、その中に100人いる。

割合としては、100/1,200,000である。

私は優秀な人材はどの集団にも等しい確率で存在していると考えているので、途上国全体にどのくらいそういった人がいるか、考えてみると、
50億×100÷1,200,000=416,666人
いることになる。これってすごくない?理靴41万人もいるんだよ?

もちろん、今現在、彼らがそこまでのパフォーマンスをするかといえばそうともいえないだろう。基礎教育の問題、また基本的なニーズの不足に苛まれているかもしれない。もしくは、出世コースが世襲システムに阻まれているかもしれない。

でも、素材としてはそれだけいるのはまちがいないしことだし、それだけたくさんの人材を有効活用していない現状は非常にもったいないような気がしてきた。


BOP市場というものへの興味は高まるばかり。

ネクスト・マーケット---どんどん読み進めていきたい。すごくmotivating。(とはいっても、今たくさんの本を平行して読むというなぞの行動をとってしまったので、まだまだたくさん時間はかかりそう。)


投稿者: inoyo 投稿日時: 2006-6-23 22:49:00 (763 ヒット)

ここ最近、毎週のように親知らずを抜いています。

ここしばらく昼間は忙しいし、これからもバタバタするだろうから、急に歯を抜きたいなんていうことは実質不可能なわけで。何でも計画的が一番の日本ですから、なくていいものはなくしてしまえ――ということで、4本の親知らずには口外追放処分の決定がなされました。

それで、ちょうど一週間前、3本目の親知らずを抜いたわけですが、骨と絡まっていたかなんかで、やたらと抵抗があって、約40分の大手術。涙は出るわ、背中汗びっしょりになってるわで、もう大変。でも、何よりも大変なのは、いまだに薬が切れると歯が痛むこと。

こればっかりは本当にひどい話で、薬が切れる午前4時ごろには眼が覚めるし、朝飲んだ薬が効いてくる授業中には眠くなるし、ご飯を食べるころにはまた歯が痛くて、大して食えない。しかも睡眠不足かなんだか頭痛もひどい。

こりゃ冗談じゃない。QOLも著しく低いわけで、余裕なんてないのですね。

口を開けばまず「歯が痛い」、しかめっ面して、指に手を突っ込んでまた「痛い」、しかも無精髭で、髪ぐしゃぐしゃとくりゃ、周りから見たら単なる不快な存在。あぁ、私の周りの人ごめんなさいね。余裕がナッシングアットオールでした。

******************

人は自分に余裕がないとき、大して周囲を見れないものです。それがイイコトだと正当化することは不可能ですが、悪いことでもないような気がします。

私は以前から、私たちがやる「国際協力」は、自分の無理のない可能な範囲だけで行なうものであるからして、それはそれなりの限界があるし、ことによると、「私」たちがめざしている世界には近づけないのではないか、ってそう思ってきました。

だって、自分のおうちが貧乏で給食代を出せないときは、「アフリカ ノ マズシーコ」には募金しないでしょ?

それってどうなのとも思うけど、別にそれがいけないということではないのかもしれないです。

少なくとも私は、自分に余裕がなかったら、募金しない。今は、自分に余裕がないけど、
解約の仕方がわからないから、口座から毎月どんどん引かれていってびびってるけど。

ケニアからメールが来ました。カメルーンからもメールが来ました。はっとしました。
すっかり忘れてたんだもん、何もかも。歯が痛いなんていうことは、ほんの一過性のことです。そんなんでも、こんなんだから、私はなんてへぼいだろうなって思いました。貧乏になって子どもでも生まれたら生きていくのに必死になるでしょうね。

それのどこが悪いんだ?

でも、そんなんでいいのか?


ちなみに、免罪符で、高齢者に席を譲りました(笑)こんなこと言っていて、ますますへぼいですが、とりあえず、へぼさを自覚しながら生きていくことが、今の私には大切なことなんです、ということにしておきます。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2006-3-20 17:05:00 (525 ヒット)

16日から19日まで3泊4日、伊豆の修善寺で、
日本国際保健学会学生部会主催のトレーニング合宿に参加してきました。

期間中のスケジュールは盛りだくさんで、
国際保健の一般的な内容から、PCM(Project Cycle Management)や
GISなどの手法にいたるまでさまざま内容を学びました。
それこそ第一線で活躍している先生たちがいらしたので、
内容も当然高いもので、何よりも現場の様子を垣間見れたのが、
私にとっては、大変価値のあることでした。


国際保健にかかわらず、いろいろな仕事があると思いますが、
その中で、私たちのような学生には、
医者や弁護士のような「わかりやすい」職業は別にして、
その他の仕事は、実際に何をしているか、よく見えてきません。

そこが、シューカツの際に、学生たちが迷う原因であり、
仕事の魅力を勝手に増やしたり、勝手に減らしたりするものではないかと、
個人的には感じています。

今回のこのセミナーでは、
そのギャップを埋める作業を少なからずしてくれたと思っています。

それに、参加者たちも多種多様、
基本的に皆、個性派ぞろいで、
おじさんはびっくりしてしまいました。
国際保健というある意味「変わり者がやる」マイノリティな分野を
志している人間たちですので、まぁ、共通点は見つかりやすいのかも。

でも、基本的に皆さんアツくて、いい意味で純粋で、
一緒にその空間を共有できて楽しかったです。

ちょっと話は変わりますが、私はどういうわけか、同年代が苦手なんです。
なんていうか、どう接していいかわからないんです。
代わりといってはなんですけど、
10歳年下とか10歳年上のほうが100倍やりやすい。

でも、今回は同年代の人たちと、ぶつかり合えて、
最高によかったです。
非医療系の皆さんでも、チャンスがあれば是非どうぞ。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2006-3-8 7:54:00 (829 ヒット)

いやさ、今もう寝ようと思っていたんだけど、
今日なにかふりかけに書こうと思っていたなぁってふと思い、
思い出してみたらやっぱり腹が立ってきたので、
パソコンを改めて起動しました。

今朝、電車に乗って目に入ってきたのが、
スローライフとかロハスを世の中に広めようとしている
雑誌『ソトコト』の車内吊広告。



いやぁ、朝から不愉快にしてくれたわけで。

もともと、ソトコトの取り組み方、メッセージの発し方には、
気に入らないところがあったんです。
ロハスにしたって、スローライフにしたって、
その概念自体はいいものだと思うけど、
ソトコトのメッセージの発信方法じゃ、
上辺だけのファッションになっちゃう。

私、国際協力してるんです!
環境に大して気を配ってるんです!
あのちゃらちゃらした感じが意味がわからない。
貧困のことを考えている自分によってんじゃねぇのか?

大したことしていないのに、
最大限努力していますみたいなのは、もう鳥肌が立っちゃいますね。
全身の立毛筋がフル稼働で、全身の毛が立ちます。

ほっとけないはもう古い?

は?

古いとか古くないとかじゃないでしょうが!
三秒にひとり子どもが死んでいるという事実に、
古いとか古くないとか、時代遅れとかそうじゃないとかあるの?

ばかじゃねぇの?

ソトコトはね、早くつぶれればいいと思う。
ソトコトが廃刊になった日には日本の市民社会が
途上国への向き合い方として成熟してきたといえるのではないかな。
まぁ、おそらくしばらくはこないだろうけど。


※ただ、今回のこの広告に対して、どういう風に市民が反応するかによって、
「ほっとけない」キャンペーンの成果も見えてくるかもしれません。
というのも、「ほっとけない」キャンペーンは、
貧困問題がすぐには解決しない複雑な問題であることを訴えてきたので。
そのメッセージがきちんと伝わっていれば、同じような、
違和感はあるはずなのです・・・・・・が。

ねぇだろうな。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2006-3-1 7:59:00 (725 ヒット)

いい加減、黄ばんできました。
日本に帰ってきて、ホワイトバンドをつけ始めたのですが、
黄ばんできたということは、もうそれなりの時間がっ経ったのだな、
としみじみします。

さてさて、ここのところ、
ホワイトバンドをしてる人をめっきり見なくなりました(よね?)

もちろん、街行く人々が、冬服なので
見づらいということもあるのかもしれないですが、
少なくともホワイトバンドに関しての一連のバッシングなんかは、
「あぁ、昔のこと」、という感じで、すっかり、
忘れ去られつつある気がします。

まだキャンペーン事務局自体はやってるんですけどね。
ホームページは大分充実してきていますが、
やや、out of dateな感もぬぐえずか。

ちょっと話は変わりますが、
たとえば普段100個製造している製品に、
突然人気が集中し、1000個の注文が殺到したとき、
何個工場に発注するべきなのでしょうか?

ナタデココをブームにしてしまうような日本の会社は
おそらく1000個(もしくはそれ以上)発注すると思いますが、
実はきちんとした「ブランド」であれば、
120個であるとか150個しか製造しないものだそうです。
消費者に安請け合いしない、ということです。
神の見えざる手に翻弄されなくていいのです。

あえて品薄状態を作ることで、
消費者に「欲しい」「買いたい」という欲求を強く持ってもらう――
ここで、高めの価格設定をしておけば、この製品を買うということが、
大きなステータスになるのです。そしてより長い人気につながっていきます。

もちろん、ここでポイントとなるのが、製品の質の良さでしょう。
あふれかえるさまざまな商品の中で、輝き続けないといけません。
そうでなければ、他の商品を購入して、満足されてしまいます。
これはとても難しいことですね。
特にここ日本では。

日本人の消費傾向を見ていると、どうも中毒症状がみえる気がします。
消費の仕方が、極端です。

Aばっかりやって、そのあとはBばっかりやって・・・。

ひとつの商品が異様に売り上げを伸ばしたり、芸人が異様に売れたり・・・
そして、あっという間に目の前から消えていく。
この間テツandトモが久しぶりにテレビ出てました。
(面白かったですけど。)

まぁ、ものがあふれていて、何かを手にすることが、
全然特別なことではないのかもしれませんね。
小金もちがたくさんいますものね。
だから、あれもこれもになるんでしょうね。


ホワイトバンドは、もちろん、製品の性質が根本的にちがうし、
キャンペーンなので、期間限定で一気に販売されるものなのですが、
なんだか、結果だけを見ると、気をつけないと、
ナタデココなバンドになってしまう気がするので、
危険な感じがします。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2006-1-29 8:09:00 (791 ヒット)

世界の人々は、あの映像を見て
怖いねというだけで、
ディナーを続ける――
これは、映画「ホテル・ルワンダ」の1シーン。ルワンダの虐殺シーンを取材したカメラマンの台詞だ。

ホテルに宿泊していたカメラマンの一人は、虐殺シーンを取材してきた。この映像を見れば、必ず助けが来ると思ったルワンダ人の主人公に対し、彼は、酒に酔いながら悔しそうに言った。

世界の人々は、あの映像を見て怖いねというだけで、ディナーを続ける――

今の(大多数の)先進国の人たちの姿勢を端的にあらわしていると思う。そしてホワイトバンドが、これを助長するだけのものにならなければいい、そう思う。

「貧困? 知ってる、知ってる、かわいそうだよね。」
「かれら」も幸せになれればいいのにね。」
「よかったね。私たちは、こういう世界に生まれて。」
「幸せって、こういうのを見たときに実感するよね。」

本当にそれでいいのだろうか。一歩先へ。
もし、貧困を撲滅する必要を感じているのなら。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-11-21 8:26:00 (770 ヒット)

私が今働いているNGOの写真展が、12月2日より、目黒駅駅ビル“アトレ”の6Fで行なわれます。1月15日までです。大変小規模ですが、入場料は無料ですので、ぜひどうぞ。

貧困をテーマに、皆さんに感じていただきたいことをしっかり表現したつもりです。

貧困問題を語るときに、大切なのは、ネガティブなイメージだけを投影することではなく、そこに生きる人と、ここに暮らす私たちがつながっていることを感じていただくことだと思っています。

それが、私がカメルーンで暮らしたあとにえた、
ひとつの答えでした。

もちろん、悲惨な状況があるのは事実だし、それを矮小化するのは間違っているけど、大切なのは、そういった状況においても、人は生きようとしていること。未来を見ているということです。

それをしっかりとあらわしたいと思っています。

って、ここまで読んでくださった方は、おわかりになったかと思いますが、この私が写真展の企画をおこないました。

カメルーンで感じたこと、少しずつ出していくつもりです。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-10-22 8:30:00 (764 ヒット)

前から憧れていた、医師で写真家の山本敏晴さんの写真展が銀座のCanon Galleryで開催されていたので仕事帰りに、スタッフと一緒に訪れた。

「あなたのたいせつなものはなんですか? …カンボジアより」と題されたこの写真展には、全部で40点くらいであろうか、カンボジアに住む子どもたちと、その子の住む環境が
写真で描き出されていた。そして、同時に展示されていたのが、その子供たちが描いた、一番大切にしているものの絵だった。

山本さんの写真は、貧困をそのまま描き出している。そのままに。つらい貧困だけど、そこには必ず、力強く生きる人がいて、笑っている子どもがいる。それがそのまま描き出されている。

貧困の写真を撮るとどうしても、悲惨な絵をとろうとするのが、悲しきことに、大半の写真家の、そして写真を選んでマスに届ける編集者の本能かもしれない。少しの間により多くの関心を引くためにだ。

でも、それでは本当の関心を引いたことにならない。

一番大切なのは、今、この瞬間に、どこかで、誰かが生きている、そういったほぼ無限の広がりをもった空間が、私たちとそれを囲む世界に存在することを実感させることだと思っている。世界をひとつだと認識させることだ。

う〜ん、分かりづらいが、
今は眠いので、そのままにしておこう。

で、何気なしに足を運んだ写真展だったのだが、なんと、ご本人がいらっしゃった。もうね、すごくうれしかったですよ。ずっと気になっていた写真家だったので。少しお話しさせていただいたいて、活動のこと聞かせていただきました。

ここのところ、貧困撲滅ということに関して悩んでいた私ですけど、少し気持ちが救われました。問題は根本的には解決してないのですが。

でも、名刺渡した時に、学生か、教職員か聞かれたのは、まぁ、しょうがないんだけど、2mmへこみました。講演を是非聞きに行ってみたいと思いますが、今度は間違われないように、若ぶっていきたいと思う井上陽介なのでした。。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-10-16 8:35:00 (650 ヒット)

カメルーンに行った際にお世話になったアイセックの担当者の方、そして、その愉快な仲間たちと、今晩、ご飯を食べに行った。

愉快な仲間たちを含めた彼らは、アイセックのアフリカ研修を充実させるために、研修経験者に話を聞いている最中らしい。まぁ、いかんせんあんまり仕事がなかった私なので、何を聞かれても大したことわかんないから、適当に好き勝手なことを話させてもらった。貧困とか、アフリカとか、諸悪の根源:ジャンルイスとか、毛髪のこととか・・・。役に立ったら、良かったです。

で、そんなのはどうでもいいのだけど、今日、せまっくるしい「すずめのお宿」で話していて
改めて感じたことがいくつかあった。

で、一番強く感じたのは、一番感じてはいけないことかもしれないこと。

貧困撲滅って本当に出来るの?

そもそも、何をもって貧困撲滅という状況とするのか、さっぱり分からないが、仮に、その世界では、みなが「文化的で、健康的な、最低限度の生活」を営んでいるとすると、「貧困撲滅を成し遂げた」世界に住むということを私たちはどのくらいで理解出来ているのだろうか?私たち、というのは、先進国で貧困撲滅を訴えている人間全てだ。

「貧困撲滅」を成し遂げるには、今、この「世の中」がこの生活を享受するために、様々な犠牲を払っているように、大きな犠牲を払わなければいけないはずだ。

おいしいご飯だって食べられなくなるかもしれないし、エネルギー効率の悪い、食肉が配給制になることすらあるかもしれない。日本企業の海外進出は相当制限され、日本の失業率はますます増加して、教育を満足に受けることが出来ない子どもが続出するかもしれない。電気だって、夜12時以降は使えないとか、冷房を使ったら、秘密警察に捕まるとか、
あるかもしれない。明らかに大袈裟だけど。

こういった生活を「私たち」は覚悟しているのか?少なくとも、今の「私」にはそこまでの覚悟はないような気がやっぱりする。しかも、「一生懸命」になっている人がそうなら、そうじゃない人の賛成なんて得られるわけない。しかも、そうじゃない人が多数派。

別に、そうじゃないことが、悪い、とは言わない。むしろ自分に正直なのかもしれない。命削って築き上げてきたものが、「ドッカノダレカ」においしいとこ取りされるのはやだろうし、世界中が同じスタートラインから始めたって、結局、今の世界にたどりつくかもしれない。それは、フェアなのかな?

国際政治に限らず、「平等」という概念は難しい。そこに違いがあるからね。

それに、結局、人は勝手な生き物。

もし、今、貧困のなかに暮らす人と「私たち」の立場が入れ替わったとしたら、きっと彼らも、同じような生活を繰り返すのだと思う。


はっきり言って、なんだか切ないけど、それに向かい合わないといけないのかもしれない。ありえないけど、淡い未来に期待しちゃうのかもしれない。逃げたいけど、それに向かい合ってしまう自分がいるのかもしれない。

うひょひょひょひょ。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-10-1 8:37:00 (641 ヒット)

今日、とうとうあの噂のホワイトバンドを買いました。別にわざわざ着用しなくても良かったのですが、昨今のバッシングを見ると、ちょっと寂しくて。

正直言って、ホワイトバンドの趣旨は私にとってはずっと昔から当たり前のことだったので、日本に帰って目の前にした盛り上がりは、拍子抜けですらありました。

はずし始めた人、多いと思うんですよね。このごろの報道を受けて。報道は誤解が大きくなっていくところがあると思うんだけど。で、少し危機感のようなものを感じて購入しました。

で、で、つけるからにはこの世の中に貧困がなくなるまでつけ続けます。それは10年後か、20年後か、50年後か、私が死んだ後か、知らないけど。「ホワイトバンドって2005年やってたやつだよねぇ・・・、懐かしい!」と世界が勝手な時間旅行をしていたとしても、「あんなのまだ付けてるよ」って、世界にバカにされても、つけ続けていきたい、と思っています。

ダサくなった時にこそ、ホントの「意思表示」が出来るような気がするのは、私だけでしょうか?


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-9-16 8:41:00 (671 ヒット)

今日、簡単なお話をNGOの方としてきました。キャンペーンの話、方法論や現状など色々説明していただきました。やはり問題になるのは、この問題を、いかに「わたし」の問題として捉えてもらうかということ。

どうしても実感のわかない様々な世界の諸問題。そりゃわきませんよね。相当な不感症。思いをはせるにしてもどうしても見当違いな感じになってしまいます。

どうしてそんなことが分かるって?

例えばみなさんの持つアフリカのイメージ。まぁ、いろいろあると思います。貧しい、大自然、戦争、飢餓・・・。確かにそういったイメージがウソであるわけではないと思います。でも何って、あの広大なアフリカにひとつのイメージを求めていること自体が相当乱暴ですよね。ましてや大きな文化多様性のあるアフリカに対してです。

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一生懸命がんばっても、どうしても遠いどっかの国の問題。ホワイトバンドのキャンペーンだって、ホワイトバンドを付けてもらうこと自体なんて実はどうでも良くて、(全く良くないわけではないが、)大切なのは、腕につけられたホワイトバンドの意味を考えること。3つのアスタリスクの意味に思いをはせること。ホワイトバンドから世界をのぞくこと、そしてのぞきつづけること。

日本人は基本的に広告に踊らせていますから、むちゃくちゃ熱しやすく冷めやすい。しっかりとした広告をうたなければ、「あぁ、昔ホワイトバンドってあったよね〜」と振り返るだけの、
ナタデココみたいな存在になってしまうわけ。

それじゃあ、もちろんいけないわけで。私たちは、「遠いどっかの国」の問題にとりくまなければいけないのです。みんな何となく分かっていること。でもはっきりとした答えはなかなかない。


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