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投稿者: inoyo 投稿日時: 2006-3-27 22:56:00 (721 ヒット)

中央教育審議会が小学校高学年以上で英語を必修化するよう提言するとのこと。

はて、何をしたいのでしょうか?疑問で仕方ありません。

週一回の授業で本当に英語が身につくとでも思っているのでしょうか?思ってるとは思えないし、もし思っていたとしたら勘違いだと思います。とにかく、意味が全然わかりません。

英語の義務教育化の前倒しを行なう背景には、
〕鳥教育の重要性(の「盲信」)
日本人は英語ができないという(誤認の)事実
があると思います。

確かに、発達段階のより早い段階で外国語を学ぶ環境を整えることは大切なことかもしれません。ただ、どう考えても週一回の授業でそれができるようになるはずはありません。一週間には、24時間×7日=168時間あるわけで。1/168はねぇ・・・。普通に考えたって無理ですね。向こうの子たちは週に100時間以上聞いているわけで。

もちろんやらないよりもやったほうがいいのかもしれません。ただ、やったことで得られる
,泙 △擦い爾た十個の英単語の知識
外国人に対しての恐怖心・抵抗がなくなること
くらいのことが、果たして、莫大な税金投与にふさわしいのか、という話しです。

それから、日本人は英語がなかなかできないということが当たり前のように語られていますが、それが果たして正しいかといわれれば、そういうわけでもない気がします。

アジア各国と、TOEICなどの平均点が比較され、日本人の平均点が相対的に低いということがしばしば取り上げられますが、これが実は巧妙なトリックで、アルクとかの陰謀としか思えません。というのも、日本の平均点が低いのは、受験者数が圧倒的に多いことによるからです。中国や韓国ではエリートしか受けない(受けられない)のに対し、日本は、そうでない方もたくさん受けるわけです。したがって、平均点は自ずと低くなっていくわけです。(もちろん、日本語と英語で使用する音域が異なることも起因します。)

また、英語を話せないという感覚を持っている人がたくさんいることも、どちらかというと内弁慶な国民性によるところが大きいでしょう。

私が今想像する中で、見えている結果は、
‘本語力のますますの崩壊
∈まで中1で英語嫌いになる子が、小5で嫌いになる。
ということです。

大学のはじめの二年間で小学生と向き合っていましたが、何人かとても「ひどい」子を持ちました。ホワイトボードの内容をそのままノートに写せない子、九九ができない子、三角形の図をそのままノートにかけない子、日本語が通じない子・・・。こういった子すら受験をしようとしているということは、もっとたくさん、そうでない子がいるということを暗示しています。

私はこの二年間の経験もあり、ちゃんとした英語教育をしたいのであれば、その前にやることがたくさんあると感じています。基本が何もできていない子たちに、何を教えても、ほとんど意味がありません。彼らの負担を増やすだけですから。

そして、今回のような制度の導入は、そういった子たちをますます混乱させ、何よりも税金の無駄遣いです。お金があるのであれば、中学校の英語教育をいじくるべきです。小学校で九九を教えるべきです。繰り返し繰り返し、ドリルでも何でもやるべきです。もうシステムがあるんだから。そして、既存のシステムの中の努力不足を、意味不明な方法で解決できると思わないことです。

そして、国民全員に英語を身につけさせようとすることはあきらめるべきです。そんなことする暇あるんだったら、日本語教育を、海外に展開していくべきです。ことばは武器なのだから、何も相手が製造した武器を無条件に購入することありません。自分の使い勝手のいい武器を相手に使わせるべきです。


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(時事通信社 - 03月27日 20:15)
 小学校段階の英語教育の是非を検討している中教審外国語専門部会は27日、事実上、小学校での英語必修化を求める内容の提言をまとめた。親部会の教育課程部会に報告され、審議が続くが、必修化実現の可能性が強いとみられる。

 高学年では週1時間程度、共通した教育内容の設定を検討するよう提言。教科書が必要な正式の「教科化」は当面しない。低学年では道徳などと同じ「特別活動」、中学年では「総合的な学習の時間」での教育で充実させる方針。

 文部科学省は2006年度にも改訂を予定する小学校用学習指導要領に方針を盛り込む見通しだ。 
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投稿者: inoyo 投稿日時: 2006-3-21 7:52:00 (714 ヒット)

去年、小学生の小論文を教えてて、どういうわけか、自殺の話になった。

詳しい話はすっかり忘れてしまったが、かすかな記憶をたどると、生徒の一人が小論文の中で、自殺に触れ、「そんなことをする人は馬鹿だと思います。」といった具合に、意見を述べたのだったと思う。

わたしは、なにか彼らに考えて欲しいと思った。

私は道徳の教師でもないし、聖人君子でもないので、そんなにえらそうなことをいう立場には全くないが、ふたつの文章を彼らに読んでもらった。
ひとつは高史明の『生きることの意味』の前書き、そしてもうひとつは森毅の『まちがったっていいじゃないか』から「君は自殺を考えたことがあるか」だった。

どちらも小学生には少し難しかったかもしれない。でも、両方ともわたしが読んで少なからず影響を受けた本だった。単なる自己満足だったのかもしれないが、彼らの中で何か感じてくれればと思った。


自殺をする人は馬鹿だと思います――


その言葉がどうしてもわからなかったし、同時にすごく怖かった。

自殺をすることは自分の死を軽視していることではないと思う。悩んだ末に下した決断だと思う。そう信じたい。


ただ、他人を困らせるために、あてつけのために、自殺するのは、あまりにも悲しすぎる。
自分で、他人ごときのために、自分の可能性を消し去ることは、あまりに情けなすぎる。担任教諭から注意された直後に自ら命を絶った北九州市の小学5年になる男児。悲しくてしょうがない。どうしてかわからない。

彼の友だちには、思いきり、馬鹿と叫んで欲しい。そしてたくさん泣いて、いつまでもいつまでも、彼の馬鹿さ加減を忘れずいとおしむ優しい子たちでいて欲しい。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2006-2-6 8:00:00 (654 ヒット)

デンマークのとある新聞社がイスラム教の予言者ムハンマドの風刺画を描き、更に、それに呼応して、他のEU諸国でも類似の論説、または記事の転載があった。当然のように、イスラム圏からの反発を招き、大きな問題になっていることは昨今の報道の通りである。

偶像崇拝を特にさけるイスラム文化であるのだから、ムハンマドを肖像画にし、しかも、「バカ」にする内容であれば、このような暴動が起こるのも致し方ない、とも言えるかもしれない。彼らとしては守るべきを守っているのであろう。

一方の欧州。
長年続く不況状況により欧州各国では社会に対して不満は募っている。不況で厳しい雇用市場をより厳しいものにしている(と彼らが考えている)のがイスラム圏からの労働の流入。
その上、アルカイーダなどのイスラム出身のテロリストグループの存在により、欧州には慢性的にムスリムに対して倦厭的な感情があるという。

移民に対しては、このようなネガティブな感情が存在することは、そんなに珍しいことではない。移民の持つ身体的な差異が明確に、「わたしたち」と「彼ら」とをわけ、意識化されやすい。

オーストラリアでは先月、多数いるレバノン系移民に対する暴動が起こった。これも失業率が高いオーストラリアでの社会不安を、レバノン移民に向けたものである。社会不安が存在するとき、人々はそのストレスや不安のはけ口として、その社会の中のマイノリティをたたくのだろうか。あたかも、その行為をすることで、社会としての一体感を感じるように、だ。マイノリティをたたくこと際に得られる一種の高揚感をもってして、漠然とした不安から逃れようとしているのではないか、とすら疑ってしまう。時代は少し遡るが、関東大震災の後にたくさんの朝鮮半島出身者が殺害されたことも同様かもしれない。

小さなコミュニティで暮らしていた「あのころ」は、少数の集団は力がないマイノリティであった。ところが、グローバル化が進む現在においては、人数がすくないといっても、「マイノリティ」が、巨大な勢力であることはしばしばあるのである。時として、(予想外にも、)今回のように大きな反発をうけることがある。

今回の一件がこれからどのような方向に向かっていくかは、分からないが、事態は相当深刻かもしれない。このような事態を再び引き起こさないために、そして、平和で安全な世界を築くために、より一層の異文化理解が必要となる。

グローバル化のポジティブな面に期待したい。



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<ムハンマド風刺画>抗議デモで、ノルウェー大使館に放火
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 【カイロ支局】欧州の新聞がイスラム教の預言者ムハンマド(マホメット)の風刺漫画を相次いで掲載し同教徒が反発を強める中、シリア・ダマスカスで4日、数千人規模の抗議デモがあり、「デンマークでコーランを燃やす集会がある」とのデマ情報に扇動された参加者が同国大使館などのあるビル(4階建て)や近くのノルウェー大使館に放火した。いずれも大使館関係者に被害はなかったが、建物は大きな被害を受けた。また、レバノンのベイルートでは5日、デモ隊がデンマーク総領事館に放火した。治安当局は催涙ガス弾でデモ隊を解散させようとしたが、衝突でけが人が出ている模様だ。
 ◇参加者がデマ情報に扇動され…シリア・ダマスカス
 デンマーク、ノルウェー政府は4日、シリア国内の同国民に退避勧告を出し、シリア政府に抗議した。ノルウェー政府によると、シリア側は謝罪したという。また、EU(欧州連合)議長国のオーストリアは4日、「欧州の市民や財産への脅威であり容認できない」と暴力的な抗議活動を非難した。
 デンマークの新聞が昨年9月に風刺漫画を掲載し、欧州各紙が相次いで転載したことが発端となり、ダマスカスでは先週以降、デンマーク大使館前で連日、座り込みデモが行われていた。
 AFP通信によると、この日、一部のデモ参加者の携帯メールに「コペンハーゲンでコーランを燃やす集会がある」との情報があり、興奮した参加者たちが警官隊の警備を突破し、ビル入り口付近で家具を燃やして放火し、投石を繰り返した。実際には集会は行われておらず、情報はデマだったとみられる。
 デンマーク大使館はビル3階に入っており、同じビルにはチリ、スウェーデン両大使館も入居していた。この日、ビルは休館で各大使館の職員の大半も休んでいた。
 デモの参加者らはその後、約1キロ離れたノルウェー大使館に移り、警官隊を突破して建物に侵入して放火した。さらに近くのフランス大使館へも移動したが、警官隊が催涙ガスなどで鎮圧した。

(毎日新聞) - 2月5日20時20分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060205-00000049-mai-int


投稿者: inoyo 投稿日時: 2006-1-23 8:16:00 (660 ヒット)

昔、何故ゴキブリがあそこまで毛嫌いされるのか、ということについて考えたことがある。

実は私は幼少のころより、ゴキブリを家で見たことがない。

私が2歳の時分に引っ越して暮らし始めた横浜の家は、(なんかいやらしい言い方だが、)当時新築であった。新築であった上に、近所に飲食店もなく、しかも、駆除剤を建築時に大量に散布したためか、ゴキちゃんは、一回も現れなかった。それは今の居住でも同じ。一回も現れない。

しかもどういうわけか、数々の旅先でも、ゴキブリを見ることはなく、ゴキブリがどんなものであるか、よく分からないで大きくなった。

高校のときに、ホームステイをして、その家でしばしば現れる褐色の虫に向かって、Cockroachがでたぁ、といっているのを聞き、辞書を引いて初めて、それがゴキブリであると認識したくらいだ。

そして実は、そんなにゴキブリは気持ち悪いものではないのではないか、なんていう風に感じるわけである。辞書を引くまでは気がつかなかったわけだから。つまり、私が言いたいのは、生まれてきた社会のゴキブリのイメージが、それぞれのゴキブリ観大きく影響しているのではないか、ということだ。

ゴキブリちゃん、確かに歩き方は気持ち悪い。一直線に進む姿には恐怖すら感じるし、
なんとなく見た目的に「くさい」ような気がする。

しかし、スズムシとどれだけ違うのか、といわれれば、見た目、という観点からは大差ないのではないか。スズムシの飛び方はなんだかかわいらしいし、秋の夜長にあの鳴き声を聞くのはなかなかの風物である。しかし、食べようと思っていた食べ物を動かしたときに、後ろから出てきたら、スズムシといえども、ぶったまげるのではないか。

そこで仮説である。

ゴキブリが人間にあそこまで嫌われるのは、人間の縄張りに入り込むからなのではないか。人間の生活の範囲に入ってこなければ、ゴキブリといえども、誰も文句は言わないだろう。スズムシは、縄張りの外で、勝手に鳴いているのだ。

今回、彼らは縄張りを荒らしすぎたのか。堀江社長が容疑者になった夜、ふと、ゴキブリのことが頭をよぎった。

逮捕劇でゆれるライブドア、今後はゴキブリ張りの生命力の強さ、しぶとさを期待したい。
そして、スズムシ楽天は大丈夫なのだろうか。スズムシは冬を越せないの。


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-12-23 8:20:00 (686 ヒット)

最近、テレビのワイドショーを何組かのカップルの離婚がにぎわせている。あそこは仲良かったんじゃないの?みたいなところも、ころっと別れて、改めて、「作られたイメージ」のはかなさを感じる。

芸能人はさておき、ここ日本でも離婚というものが、幸か不幸か、市民権を得始めている。

私の周りでも、離婚する、しない、みたいなことがある。あった。そんな話を聞くたびに、不思議、というよりかは、(なぜか私が、)不安で、そして、切ない思いをした。

やっぱり、その人たちのさまざまな思いに、触れてしまうからだろうか。

とにかく、

経済的な独立を女性が果たすにつれ、女性は、男性と、より対等な地位を築き、離婚しやすくなる。現に、金銭的な問題のために、離婚をすることができない、という女性は、多いはずだ。(もちろん、他にもたくさんの原因があると思うが。)

芸能人の離婚が比較的頻繁に起こるのも、このことが少しは寄与していることだと思う。
つまり、経済的な自立があるために、無理に嫌いな旦那のパンツを洗わなくとも、いつでも自由にはばたいていける、ということだ。

私的には、結婚というものが、「愛の証」であるのであれば、私の妻となる人には、経済的に独立していてほしい。ちゃんと、財産は半分にしておきたい。いつでも、どこかにいける(笑)状況の上で、私を見ていてほしいなって、そう思う。

そういった緊張感が必要な気がする。

そして、それは、「愛のささやき」の偽善的な響きに対する、私なりの戒めであり、「配偶者植民地計画」に陥らないようにするための、自己防衛手段であるのかもしれない。

あなたを一生幸せにします。

は?

言い切ってしまうことに、適当さを感じます。やっぱり、いえない。そうじゃないだろ?

私は、もうプロポーズの言葉を考えてますからね。
どうでもいいし、今は時期じゃないし、
今はちゃんと言う相手がいないから秘密ですけど♥


投稿者: inoyo 投稿日時: 2005-3-30 22:28:00 (629 ヒット)

サッカー勝ったらしいですね。私は見ていなかったのでよく分からないのですが、オウンゴールとか? オウンゴールしてしまった人は大変ですね。相当、同情します。

まぁ、勝ち負けはどうでもいいんですが、(よくない人はすいません!)いつも気になることがあります。それは、君が代斉唱と日の丸掲揚です。卒業式シーズンになると、よく文句を言っている人たちは、ああいうときどうしているのでしょうか? すごく不思議です。誰かそういう人がいたら教えてください。

私自身は変わった論旨の人間です。どちらでもないんですよね。つまり、廃止するというわけでもなく、正当性を主張するというわけでもない。現代人の典型的な思考回路かもしれません。

廃止には反対です。廃止するだけで問題の解決を見ようとすることは本質を全く捉えていません。人は恐ろしいほど忘れやすい存在ですから、本当に語り継がないといけないことまで忘れてしまいます。(しかも、他に何を掲揚し、何を歌うのだ??)

とはいえ、正当性をもっともらしく主張するわけではありません。近隣諸国の心情の理解が不可能なわけではもちろんなく、むしろ、私が彼らと同じ立場にあれば、同じような、ことによるとそれ以上の憤りを感じるかもしれません。

ただ、注意をするべきは、教科書で学ぶ「歴史」はあくまでも恣意的な寓話であること、そして誰もが(そこの場にいたとしても)その状況を完全に理解したと言えるはずがないことだと思います。

国歌や国旗にはその国の歴史が染みついています。人々の人生が色濃く反映されています。その歴史をしっかりと見つめ、良きものをしっかりと後世に伝え、悲しい歴史が繰り返されないようにすることが何よりも大切なことなのではないでしょうか。

歴史は過去の人々の生き様を学ぶだけでもとても楽しい教科です。しかし同時に大切なのは過去を見つめて得たものを活かし、どのように前を向いてどのように生きていくか考えることのはずです。