超「受験」論

投稿日時 2005-3-26 22:25:00 | トピック: Field Noteから

今日は朝から、いろいろなところに買い出しに行っていました。
いい加減に準備しないと前日の夜に泣くことになるからです。
国内や、海外でもアメリカとかヨーロッパとかに行くのであれば、
「まぁ、何かなかったら行ってから買えばいいんだしぃ〜。」
と、たかをくくっていられるのですが、そこは、第三の故郷カメルーン、
そうは問屋が卸しません。
なかったら本当にないまま6ヶ月が終わることでしょう。
うーん、こわい。

主に渋谷で買い出しをしましたので、買い出しの合間を縫って、
以前の勤務先の塾へ顔を出しました。
出発の報告をするためと、ある人間の合否が気になったためでした。
彼は、高校の後輩であり、そこの塾の生徒でもありました。

結果は不合格でした。

受験はとてもシビアです。
努力のの積み重ね、学校への思い・・・、というアナログなものが
「合格」と「不合格」というデジタルな世界に区切られてしまう。
もちろん合格する人にはそれなりの理由があって、
また同時に不合格という結果に終わる人にも、
それなりの理由があるのかも知れません。
それに、受験制度として、ほかに妥当な制度が見つかるわけではなく、
「無難」な制度だとは思います。
でも、あまりに重く、むごく、つらい現実です。

自分自身は、合格しました。
ただ、その合格が不幸を引き起こしました。
人間関係も大いにこじれてしまいました。
それはとてもつらかったです。

「あなたに浪人生の気持ちはわからない。」
確かにその通りです。
私は何も言えませんでした。
今となっては、誰の気持ちも完全にはわからないものだ、と気がつきましたし、
わからないからといってわかろうとすることをやめるのは間違っていると、
思うことができますが、当時の私にとっては、重すぎる言葉で、
どうしようもない状況に、心はすさみました。

仮にも青春を謳歌すべきようなときに、このような人間関係を
わざわざ生み出すことに対してはどうしても納得がいきません。


実は、用事があったらしく、本人が来ていましたので少し話しをしました。
顔は晴れやかとは言えませんでしたが、時折笑顔がありました。
すごくほっとしました。
ただ、きっと心の中にはいろいろな思いがあると思います。
きっといつまでも心に引っかかるかも知れません。
でも、前を向いて自分の足で一歩一歩着実に歩けるようになる日が
いつか来るはずです。
心の底からにこにこできる日が。


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